台北朝市


旅行の基本は歩き回ることであることを認識したのは20代半ばのアメリカ放浪の時でした。


ある街にたどり着いたら旅行センターで宿の情報を得て予約し、投宿した宿を拠点にひたすら周辺を歩き回る。人との出会い、その地を肌で感じるという意味ではガイドブックを見て名所旧跡を巡るよりもはるかに有効です。


今回の旅行でも日頃と同じように6時くらいの目覚め、お姫様たち(連れ合いと友人)の準備が出来上がるまでの1-2時間は宿の周りを歩き回りました。


早朝のすがすがしい空気は、昨夜の夜市の空気とは正反対の透明感にあふれ、仕事に出かけるためのおびただしい数のバイクときびきび歩くビジネスパーソン、これでもかとばかりの大量の品物をバイクに積み上げて走るお兄さん。夜市で感じたドキドキするような喧騒と猥雑から、台北の朝は活力に溢れ、大きな町全体が躍動するようなエネルギーを感じます。しかも、夜市ではあまり目にしなかった中高年が「これからは私たちの時間」とばかりに、ある人は公園で太極拳に励み、ある人は屋台で朝食の作りに汗しています。


旅に出たときに歩き回る習慣を得てから、地図やガイドブックを見なくても、街に対する嗅覚のようなものが働くことを実感してきました。街角の路地から滲んでくる空気が「こっちはおもしろいよぉ」と誘うのです。


そうやって見つけた朝市、ビジネス街の裏通りを進んでいったところに忙しく立ち働くおじちゃん、おばちゃん、朝から買出しの主婦、出勤途中のOL。これこそ夜市の対極にある活力みなぎる朝市です。


豚や鶏、牛肉をバサバサと中華包丁で大きく切り分け、台の上に並べる肉屋さん。ハエはらいの紐をくるくる回す道具の下に肉の塊がドカンドカン置かれています。日本でも見るような野菜を山積みにする八百屋さん。今がまさに旬(シュン)のたけのことニンニクだけを路上に並べる筍屋さん。筍の切り口からは鮮度を表すように水が滴ります。バナナの葉をひきつめた籠にカラフルなフルーツを山盛りにする果物屋さん。野菜や肉魚は持ち帰えることは出来なくてもフルーツなら・・・と、買い物をする主婦と同じように、置かれたビニール袋に自分の欲しい果物を分量だけ入れて店のオバチャンに見せます。当然のように日本語も英語も通じませんので、お金を手に持って見せれば必要な分だけ取ってくれます。


そばの公園で買ってみたライチを頬張るとこれが瑞々しくて適度な甘さと酸味、日本で手に入るものとは鮮度糖度が雲泥の差です。出来損ないのトマトのような形をした名前を知らないフルーツも、スイカのやさしい甘さも、普通に売られる果物の水準が飛びっきり高いことに驚きます。やっぱりここは南国なのですね。


さらに脚を進めると、噂に聞く豆漿と書かれた豆乳屋さんがあります。家族が忙しく立ち働く店先で、メニューを指差して、「たぶんこんなやつだろう」とおぼしき品物を朝食用に買います。暖かくて餡子を加えたようなほんのりした甘さの豆漿と冷たくてすっきりした豆漿、どちらもホテルの朝食用に並んでいたものとは味わいが違っておいしい。もうひとつメニューの最初に並んだやつも指差してみると、「これは入れるか?」とでも言うように玉子焼きのようなもの、フレークのようなもの、お粥に入れるあげ棒のようなものをみせられます。そういう時は「とりあえず全部」というのが定番。なにしろ出来上がりがよくわからないのですから。袋に入れてくれたのは、おからのような白い物体。「アチャーー 搾りかすだったのかぁ。失敗」と思ったら実は先ほどの品々を全部閉じ込めた巨大なおにぎりでした。これ一個で朝ごはんとしては充分の分量です。豆漿とたっぷりのフルーツ、巨大おにぎりを抱えてホテルに帰った頃、お姫様たちの出発の準備が出来ていました。


夜市と朝市 違うベクトルのエネルギーが満ちた空間はやっぱりアジアそのものでした。この二つのエネルギーを感じられただけで台湾とそこに生活する心優しい人々が大好きになってきました。