台北夜市の熱


沢木耕太郎さん「深夜特急」の一つの頂点は香港の露天街の興奮です。


「あらゆるところに店があり、品物があって、人がいる。そのとてつもない氾濫が、見ているだけの者も興奮させてしまうほどのエネルギーを発散しているのだ。”香港って街はなんて刺激的なんだ”歩き疲れた脚を投げ出しながら、胸のうちで何度もそうつぶやいていた」


「そこから、さらに、長い長い露天街が続き、人はここにも溢れていた。その人々の流れてに身を委ねながら、私は激しく興奮していた。なぜ自分がこんなに熱くなっているのかわからない。しかし、とにかく、これが香港なのだ。今まで私がうろつき回っていた場所などは、ここに比べれば葬儀場のようなものでしかなかった」


この熱気と興奮に再び出会うために沢木さんはユーラシア大陸を横断したのです。



私は残念ながら香港では出合うことがなかったこの興奮に、台北夜市で出会いました。


先週の初めて台湾に出かけていました。


遅くなった台北到着直後、夜市は賑わいはこれからだとばかりに熱気に包まれていました。


店舗とその軒先だけでなく、路上のど真ん中にずらずらと並べられた衣類やアクセサリーのチープさ派手さに目がちかちかし、昭和三十年代の日本を思わせる人口甘味料的味わいのジュース、アイスクリーム、屋台でつぎつぎ作られる包頭、麺、焼き飯、スープは香りが入り混じり鼻腔の奥を刺激します。


見れば集まっている膨大な人人人の多くは若者で、彼らのしゃべり声が倍倍化して頭の奥のほうで響きあいます。


猥雑と喧騒が入り混じっているのに、地回りのチンピラや暴走族のような危険を感じることがありません。


めぼしをつけた焼き飯やの店頭でカップに入れられた焼き飯と蟹入りのスープを手にし、店の奥のくたびれたテーブルで食べながら周りを眺めると、喧騒と感じられた集団も個ではゆったりと穏やかで、祭りの中にいるのではなくて日常のように食事を楽しんでいるのです。それは隣の麺屋さんでも同様で、店の若者はにこやかに身振り手振りでお奨めを示し、私が手に持つ元の中からそっと必要な分を取り分けてくれます。


香りと臭いと匂いを夏の熱気で混ぜ合わせたような強烈な刺激と、グワングワン頭の中に鳴り響くような人々のしゃべり声が充満した夜市の熱気は、間違いなく人の熱で作り上げられているのです。それは東京の○○ヒルズとか○○ビルのように金に敏感な輩が作り上げた人工物には出来様もなく、たとえそこに同じ人数が集まってもきっと感じるのは混雑だけのはずです。


藤原新也さんは「昔、日本はアジアであった」と喝破しました。


日本には無くなってしまったアジアは台北夜市には存在していました。その熱に浮かれ顔が厚く紅潮するような興奮を味わった夜でした。犬は人の熱気にあてられたようにぐったりと横たわっていたのです。