netは履歴書


佐々木俊尚さんの著作に「ネットがあれば履歴書はいらない」という著作があるのだそうです。


実際に著作は拝読してはいないのですが、ラジカントロプスの佐々木さんへのインタビューを聴くと、「ああ、考えてみたら同じようなことをnetに求めていたんだなぁ」と思えました。


net上で公に発信している内容は確かに履歴書以上に本人の仕事とキャラクターを映し出す鏡です。私の場合は「板前日記」の内容は私の表の顔の多くを表すもので、これを読んでくださればどんな姿勢で仕事に向かおうしているかを想像し易いと思います。長く読んでくださる方は来店前に私を理解してくださってるかもしれません。これは書く以前に意識していたわけではないのですが、結果的にそんな具合になっていったわけで、12年前にネットの方向性を予想できるわけもありません。


ただ、履歴書といってもnet上のことですので、net特有の危険性を考えて長い間顔出しをしなかったり、家族のことはなるべく書かなかったり、本名を気軽に公にしなかったりという防御線を常に張ることを怠りませんでした。これがtwitterの登場で少しづつ変化し始めているのではないかと思い始めました。


実際に触れている方々はお分かりかと思うのですが、twitterというツールは2チャンネル的な荒れ方や、「炎上」が今のところ起きにくい状態にあります。140字という短い言葉しか使えないこと、荒れるにはあまりにも早い時間軸の流れがあって、おおむね発言者の周りに集まるフォローワーも常識的で良質なコミュニティーができやすくなっています。こういう流れがもしかするとnet全体にいい影響を与えるかもしれません。


昨年の9月からtwitterに触れてきてわかったのは、twitterを上手くまわし発言をしやすく、フォローワーのいい情報を得るためにはこちらの情報もわかりやすく設定する必要があるかもしれないということ。つまり私のようなオジサンの料理人の写真が、たとえ憧れていても女優の横顔であったり、好きなキャラクターであったりするとスムースな会話がすぐにできません。できれば本人のわかりやすい写真が変らないほうがいいわけですし、プロフィールも匿名ブログのようにあらゆることをぼかすよりは明確に書いたほうがいいわけです。「私はこういう人間です」が明確であるほど話はスムースです。ふだん一般のブログでは躊躇していたこともtwitter上では障害になってしまうケースもあるのですね。たとえそれらを公にしてもそれが及ぼす悪弊はこれまでのブログやSNSよりもずっと少ないように思い始めました。こんな単純なことも半年もかかってやっとわかり始めたのです。


これから板前日記 twitterの両方が私の履歴書となるように体系的に発言ができて、読みやすいまとまりのある構成になっていくと理想的なんですけどね。道は遠そうです。