Late Work Late Style


私はもうすぐ55歳、会社勤めの友人たちはそろそろ定年後の話をし始めたりする年齢になりました。職人として一線で仕事ができるのも健康でいられることを前提にしてもあと10-15年がいいところでしょう。


周りの先輩たちを見渡すと、50代後半から60代に入って守りに入らずに常に時代の先端を走っている職人は極めて少ないという事実があります。自分ではいい仕事をしているつもりでもまとわりついた手垢に気付かないのです。それはもう恐ろしい現実です。


そろそろ自分自身を冷静に見つめ続けていないと私も危ないぞ・・・と思い始めたころ、大江健三郎さんがこれからの仕事をエドワード・サィードの言葉を借りてLate Work Late Styleと表現しているのを知りました。



ベートーベンを見ろ。後期弦楽四重奏や後期ピアノソナタの崇高なまでの完成度は、人生の最後、後半だからこそなしえた仕事である・・・と。人生後半の仕事は老境に入ったり集大成のまとめであってもいいけれど、一瞬の若さを爆発させるようなフレッシュな仕事だってあるのだというのです。



守りに入ることを恐れているような田舎町の田舎料理職人がベートーベンや大江さんを引き合いに出すのはおこがましいにもほどがありますが、私の最後の10-15年も自分のLate Styleを確立するLate Workにするためのピリオドです。


ありがたいことに30代よりは40代、40代よりは50代のほうが間違いなく仕事が楽しく、間違いなく進歩しているという実感が自分にはあります。根がボンクラですから進歩といっても亀よりものろいものですが。



店が始まった大正期以来ずっと何人かの見習いや板前を抱えて数人でこなす調理場仕事を続けてきて、今回初めて一人仕事に執着して職人としての原点に帰って行こうと思っています。実はもう半年ー一年ほど調理場の人数を減らしてその準備をしてきました。不安もたっぷりあった一人仕事、実際やってみるとこれが実にやりがいがあって面白いのです。第一人への気遣いがない分のびのびと楽しいことこの上ありません。なんで早くこの体制にしなかったんだろう・・・と後悔するほどです。


この改装は私のLate Workをより充実させるために必要な大きな決断なのです。