竈の灰まで


江戸から明治への移り変わりの時代、福沢諭吉学問のすすめ」で表されたように、職業選択の自由がうたわれ、制度上身分で縛られることから開放されました。


商人の子が政治家になることも、学者の子が芸人になることも可能になったのです。


とはいえ、それからも長い間、代々続く商家は長男もしくは長女が婿をとって跡を継ぐことが当たり前とされてきました。私の父の時代、「竈の灰までお前のモンだ」といわれ続けた・・・とよく聞かされてきました。父の時代には長男が跡を継ぐことに疑問を挟む余地はありませんでした。


私の頃は・・・というと、父や母、さらに「竈の灰まで・・・」と言った祖父からも、「長男であるお前が跡を継げ」とは見事に一言も言われたことがありませんでした。昭和40-50年代でも明らかに時代は変ってきていたのだと思います。


ただ、私が比較的早い高校生くらいから店の跡を継ぐことを明言していたゆえに「継げ」の言葉や、跡継ぎに対する葛藤が家族の間になかったのかもしれません。


時代はさらに下り今、一代で名店を築いたオーナーシェフの言葉に耳を傾けると、一様に「料理店は一代限りのもの」といいます。それだけ自分の培ってきたものに大きな自信があるのでしょうね。たとえ、息子が同じ店を継いだとしても同じ仕事を続けることは至難の業であると実感していらっしゃるのだと思います。


私は・・・といえば、この程度の仕事であれば、誰にやらせてもそこそこ同じ仕事はできるのかもしれない・・・くらいに思っているのですが、息子達に跡を継がせたいとは思いません。強い意志をもって四代目に・・・と言えば、それはそれでありがたいことですが、この仕事、まず「好き」がなければ続けることがこれほど苦痛な商売もありません。少しでも料理の仕事にちゅうちょがあるのならば、もっと自分のやりたい仕事を探すべきです。自分の人生、自分の好きな仕事を得ることほど大切なことはありません。この店をそのまま受け継ぐことには実利的には大きなアドバンテージがあることは確かですが、それをアドバンテージとしてさらに稔りの多いものに広げられるかどうかは、「好き」であるかどうかがとても大切です。


とりあえず今のところ三人の子ども達はだれも「私が」と手を挙げてはいません。あと10年ちょっとで創業100年、私の代でひと区切りとなっても悔いは微塵もありません。