アバター


小林信彦さんの「黒澤明という時代」の冒頭にこんな文章があります。


「文学でも、映画でも、その作品が発表されたときの衝撃ーーーこの言い方が強すぎるとすれば、人々の中にじわじわと広がってゆく波のようなもの、と言い変えてもよいのだが、これはリアルタイムで接した観客にしかわからないと思う」


私にとって特に記憶に残るそういう衝撃は、20代前半、「ディア・ハンター」「未知との遭遇」「スターウオーズ」「エイリアン」の封切に出会ったときでした。


一つはハリウッド映画に長く続いたベトナム戦争後遺症映画に最後の引導を渡した衝撃。一つは結末を決して明かさずに封切られ、異星人が侵略者ではないという衝撃。一つは圧倒的な映像迫力と新しいスペースオペラというジャンルの衝撃。一つは「2001年宇宙の旅」に象徴されるような「宇宙旅行=ハイテクの美」ではない衝撃。



ジェームス・キャメロンの待ち焦がれた新作「アバター」にはエポック・メイキングな映像にリアルタイムで出会う衝撃が間違いなくありました。


ストーリーがどこかで見たことのある映画のつぎはぎだとか、コテコテの勧善懲悪だとかいうストーリーと脚本に対する批判を打ち消してしまうほど、3D映像の迫力はこれまでどの映画でも味わったことのない革新に満ちているだけでなく、ストーリーも映像の積み重ねも、3Dをいかに表現できるかのために存在しているといっていいほど見事に映像のために構成されています。


この映画の衝撃をリアルタイムで感じ、時代がグラッと動いたことを実感できたことが大切なのです。


昨年は3D元年といわれ映画の世界ではいくつかの3D映像が現れましたが、「アバター」こそが後年に語り継がれる映画になるはずです。


映画にちょっとでも興味があるファンに「これはDVDが発売されてから」とか「TVの放送を待って」というのは120%ありえません。近年、映画館で観ることがこれほど重要であった映画はありません。時代が動いた瞬間を味あわずにどうする。