日々の出汁


日本料理の基本 出汁は朝夕二回毎日ひきます。


昆布は利尻と真昆布を使用別に使い分け、鰹節は同じように二種類を使い分けて、朝と夕方削りたてを使います。


乾物屋の老舗が軒を連ねるこの古い街のおかげで、幼馴染の乾物屋(乾物屋全部が友人です)が30gでも削ったばかりの鰹節を届けてくれるのです。


そういう手の掛け方はプロフェッショナルとしては当然のことなのですが、難しいのはこれまで日々何千回と引いてきたお出汁は、毎日同じ手順でやっているつもりでも微細な差があるのです。考えてみたら鰹の個体差はもちろんカビ付けの具合、熟成の具合が一本づつ違っても全く不思議ではないわけで、規格工業製品ではないのですから当然なのです。


それらを味わい分けて、日々の差を技術でいかに縮めるかがプロの能力なのかもしれません。


そういう差を縮めるためにごくごくまれにうまみ調味料も使うこともあります。たぶん一カ月に2-3回、何粒と数えられるくらいの分量です。一年で小さじ半分も使わないくらいの分量なのですが。。。その分量はお客様に「使っている」と味わい分けることは99.9%ないはずで、ほとんど自己満足の範疇、微細な差を気にしなければ100%使っていないと公言しても差し支えないようなものです。


なんでそんな微量なうまみ調味料のことを書くのか?


実はちょっと前のメディアの取材に「化学調味料は使っていますか?」という設問があったのです。


雑誌の主張としての脱化学調味料の傾向はよくわかるのですが、実際一年に小さじ半分に満たないとしても、使うことにこだわっていない事実はお知らせしたほうがいいと思い、そのままをお伝えしました。それはそれで上手に処理してくださる度量の深さのあるメディアで安心したわけですが、近頃のたまに潔癖ともいえる志向にちょっとした違和感を感じることがあります。


たとえば、日本酒に一滴のアルコール添加でも許さない、純米だから美味しいという純米至上主義、生産性を無視した無農薬主義、潔癖とも見える天然至上主義、ほとんど黒魔術の世界に立ち入りそうなビオワイン、おしつけがましいエコ・・・などなど、「こだわり」が先行して本来目指すべきものを忘れてしまいそうなことがあります。


そういう「こだわり」に一石を投じるような意味でもうまみ調味料をつかわないわけではないという「ある意味いい加減な」姿勢を示してみようかなぁ・・・なんて思ったりして。