自虐史観からの脱却


教育というのは恐ろしいものです。


中国人や韓国人の日本への侵略者、悪の権化というイメージや、領土問題の独善的な視点はまさに国を挙げての教育の賜物といっていいでしょう。そんなじれったい思いを持っている私自身、先の戦争で日本がしでかした悪行・・・と悪行の言葉が示す通り、すべては日本が悪いと思いこむような空気のなかで若い時代を過ごしてきました。学校で侵略戦争と教わったわけではないのに、昭和30-50年代の時代の空気というのは「軍隊」という言葉を口にすることすら戦争を肯定する悪者であるかのような一億総懺悔で充満していて、「侵略者日本」のイメージは日本人の私に着実に刷り込まれました。


ですから、サッカーの国際試合で競技場内に君が代が高らかに歌い上げられたり、日章旗を掲げたり、「万歳三唱」にはいまだに違和感をぬぐい去ることができません。三つ子の魂百まで・・・なのか、教育の力なのか、韓国中国の教育をうんぬんする前に、日本の教育はいかがなものであったのかと自らを問わなくてはならないと思うのです。こんなんでは戦前の国家主義教育を検証することなどお笑い草です。


あらゆる形の戦争に反対する気持ちは変わらないとしても、日本だけが悪行の限りを尽くした侵略者であったという自虐史観から抜け出すには、私にはたっぷりの時間が必要でした。8月の前半に繰り返しメディアに現れる悲惨な戦争を描いた番組で戦争の実態を知ることと、なぜ日本が戦争に突入しなければならなかったのかを知ることは同一には考えられません。戦争の原因を探る多くのレポートは、昭和に入ってからの日本の歩んだ道を解析して、悪の戦争に導いた悪者を探すばかりでした。そこでも第二次世界大戦への道は否定的にしか描かれないのが常套なのはご存じのとおりです。


では、日本が勝利した日清戦争日露戦争の原因はどのようなものであったのか?そしてそこに至る道のりはどんなふうであったのか?


恥ずかしながら日清戦争の原因なんぞ、私は教わったとしても全く覚えていませんでした。勝った戦争には反省の必要はないのです。戦争の歴史は必ず勝った側の論理で支配されるのです。


敗戦の原因を考えるとき、日本が世界とのかかわりをもった明治維新までさかのぼり、植民地主義の列強の中でどんなふうに生きてこなければならなかったのか?そんな視点を与えてくれたのが最近読んだ加藤陽子さんの「戦争の日本近現代史」、前後して読んだ「あの戦争になぜ負けたのか」 もあわせて自虐史観からの脱却の筋道を与えてくれた本でした。次はすぐにでも「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」 も読んでみなければ。


自らの歴史認識を転換させるいい時期です。それにしても長かった。こんなみじめな日本人を作り上げた元凶は誰なんでしょう?