骨董趣味


ちょっと前のFM「ラジオ版 学問ノススメ」のゲストは白洲信哉さん。


白洲次郎・正子を父方の、小林秀雄を母方の祖父母に持つ筋金入りのサラブレッド・・・と私たち庶民にはみえる方です。


今ではその血筋に導かれるように骨董陶芸の世界での著作を多く持つ方ですが、白洲さんのお話で、骨董に全く趣味を持たない私にもその魅力の一端が理解できるような気がしました。それはいくつかの白洲正子さんや青山次郎さんの著作からは、私の非力ゆえに汲み取れなかった心情です。


その趣味は鑑定団で見られるような「○○万円する器を所有する満足」ではなくて、審美眼をもつ人間が自分の美の心を揺れ動かす器を所有し、日々それを愛で使い込むことによって自分の味わいをその器に持たせることだというのです。所有して眺めるだけでなく、使って器を育てる喜びなのですね。それは確かに青山次郎さんがおっしゃっていたことなのですが、白洲さんというキャラクターに語られることで初めて私には理解できたような気がしました。


「よく器の箱書きを書くことがありますが、それって自分が持ったことで自分の器に育った心持を書きとめるような作業なんですね」(概略そんなようなお話でした)


TVで見られる拝金主義的な「この骨董がいくらする」という下衆な成金趣味とは決定的に違いました。


「ですから、小林や白洲が残してくれた物でも、自分の趣味に合わないものをどんどん売って自分が美しいと思うものを買います」というのもいかにも白洲信哉さんらしいお言葉です。


こんな惹かれる趣味を知ってしまうと、骨董屋さんで一つでも入った器が目に留まればたちまち深みにはまっていきそうな自分が怖い。近寄らないのが一番です。