ディズニーランドは遠すぎた


ちょっと前、中国にあるテーマパークがディズニーランドそっくりのキャラクターとアトラクション、果てはドラえもんやらキティちゃんまがいまで存在するという事実が報道され、「まったくもう、中国人はこれだから。。。」と揶揄したことがありました。


私も同様に中国人のメンタリティをそこで判断するような気持ちがわいたことは否めませんでした。




昨日読んでいた泉麻人さんの「50の生えぎわ」にこの中国テーマパークの事の顛末が書かれていたのですが、中に


「”ディズニーランドは遠すぎる”というあけすけな謳い文句も秀逸だし、来園者も”ニセ”とわかっていて愉しんでいる感じが微笑ましい」とありました。



”ディズニーランドは遠すぎる”


この言葉でくっきりと昔の日本がよみがえったのです。


覚えている方もいらっしゃるかもしれません。近頃の地方不況の影響か、数ある地方のテーマパークが次々と閉園に追い込まれる中に横浜ドリームランド、奈良ドリームランドも含まれていました。後半には土日祝日しか営業していなかったとか。


私の世代はこのドリームランドの開園にワクワクするような喜びを感じた子供でした。時は昭和30年代。大阪万博はまだ先のお話、東京ディズニーランドができるなんて想像もできず、ディズニーランドの存在は知っていてもアメリカ・カリフォルニアへ出かけるなんて夢のまた夢という時代に日本に大きな遊園地、しかもディズニーランドに似ているらしいというだけで期待は膨らむ一方でした。実際家族旅行で奈良ドリームランドへ出かけたことは鮮明に覚えています。奈良の大仏より、鹿たちより夢のドリームランドでした。


今考えれば、シンデレラ城風のお城があって、ミッキーはいないまでもそこかしこでディズニーランドを模したアトラクション(アトラクションなんて言葉も存在していません)があったらしいのです。何しろ外国人を見たこともめったにない田舎モンにはそこで働くインディアンの格好をした外国人を見るだけでドキドキしたのです(外国人を間近にたくさん見たのは万博が初めてでした)


あの時代の日本の子どもには、今の中国人の”ディズニーランドは遠すぎる”感よりも本家のディズニーランドは遙かに遠くにありました。一生ディズニーランドを訪れることなんかありえないと思っていたのです。


昭和30-40年代の日本には今の中国を鼻で笑えないようなマガイモンがあふれていました。「舶来物」という言葉に重みがあったように、日本にあるものが本物でないことはなんとなくわかっていても、それが戦争に負けて、貧しい中必死で働く日本の真実でした。たった50年前のことです。


”ディズニーランドは遠すぎる”時代を忘れて他国を卑下することは、思い返せば冷汗が出るような所業です。


それから10年後、二十代前半に初めて本家のディズニーランドを訪れた時、「こんなもんだったのかぁ」と子供心のドリームランドのワクワク感のほうがが勝っていたことがちょっとショックでした。