商店と企業


私が子供のころにはまだ大きな企業が日本にはたくさんはありませんでした。


地元でもホンダは町工場に毛の生えた程度、お弁当の支払にも手形を切る様な危うさがあるくらいの会社でしたし、スズキもこんなに大きくなったのは私から見るとつい最近のことです。


町には商店があって学校を卒業すると丁稚から手代、番頭へ。商店には小さくても必ず若い働き手がいました。職人の世界ももっと人材が豊富で、大工左官、板前、菓子職人、鍛冶屋。○○ハウスが家を作ったり建築士が設計をするような一般家屋は見かけることはありませんでしたし、飲食業界に大手が闊歩する時代がやってくるなんて思いもよりませんでいた。


私の街も商店と料理屋が並ぶ場所柄でしたから、幼馴染も99%が商売屋の息子娘で、ごく稀に転校生に会社勤めの子どもがやってくると、「お父さんが会社に勤めている」というだけでハイソサエティーが感じがしたものです。町には商人とその奉公人、職人とその見習、田舎にはお百姓さんしか周りにはいなかったのです。


今ではどうでしょう。学校を卒業した若者はすべてとは言いませんが、みぃぃんなスーツ姿で会社に通うサラリーマンばかりです。手代さんも番頭さんもいません。職人は減るばかりです。



話題はそこから派生するわけなのですが、先日取引のある食材屋さんが請求書を出し忘れ、あわてて出した請求書も金額が間違っているというちょっとしたミスがありました。私なんぞ事務仕事をやらせると40%はミスだらけという無能な人間ですから、平謝りの食材屋さんにも「ああ、いいですよぉいいですよぉ。私なんかしょっちゅうですから」と伝票を書き換え、金額を追加して支払いを済ませたわけです。


大きな企業ではそういう「いいよいいよぉ」はありえません。事務能力皆無の私なんぞ何度厳しく怒られたか。(もちろん100%私のミスの場合がほどんどなのでいいわけは全くできないのですが)たとえば銀行などでも昔は、印鑑のちょっとした不鮮明なんぞ、「あっ、いいですよぉ」と顔を見て適当に処理してくれるなんてことが普通にあったのですが、ガタイが大きくなればなるだけ顔を知っていることで許されるなんてことは一切なくなりました。


根がだらしのない私の勝手な言い訳ですが、お互いの信頼関係でいい塩梅に適当であったことは、社会の枠組みが大きくなるにつれてきっちり世知辛くなってきているような気がします。書類上の不備とか、手続き上のトラブルとか。そんなのはお役所の専売特許だったんですけどね。ほーーんとに私の勝手な言い訳なんですが。