ハレの日の山下達郎さん


子供のころに家族旅行が待ち遠しくてたまらなかったように、久しぶりにコンサートまでの日を指折り数えるように楽しみにしていた「山下達郎コンサート」に出かけてきました。


因果な夜の商売ゆえにコンサートや落語会に出かけられるチャンスはめったになくて、今回店の歴史90年の中で初めてコンサートのために商売を休みました。両親は草葉の影できっと。。。。いやいや、両親も祖父母も私の歳くらいの時は、一年に何回かは海外旅行だ、観劇だ、視察旅行だといっては店を任せて出かけていたことを思えば、新築以降の禁欲の14年の戒律を破ったって文句はいわせません。



さて、
店を休んだとはいっても、昼の仕出しは注文はしっかり受けて、夕方の注文をお断りしただけ、開場の一時間ほど前に出かけて、隣接するホテル・オークラのダイニングで軽めの食事。「一番早くできるものは?」の注文に食べたのはサンドウィッチの二種類「アメリカンクラブハウスサンド」と「クロムッシュ」 これが真っ当な仕事を堅実にこなした素晴らしく美味しいサンドイッチでした。


これは「この地には美味しいサンドウィッチがない」と嘆いていた私たち夫婦の希望の星に思えます。最近では「創作」がなければ店として成り立たないのではないかというほど、あそこでもここでも、手を変え品を変えて珍しい食材の組み合わせと、面白いパンでサンドウィッチを作るのに、果たしてそれが美味しいか?・・・というと、通いたいとは思えないような料理が多いのが現実です。それは料理業界全般に言えることなのですが、オーソドックスのなんたるか、王道のなんたるかを知らないで創作に走る巷の風潮は全くおかしなものです。王道は王道ゆえに長く生きながらえてきたのです。創作が5%だって歴史に残らないというのに、珍しくなければ料理ではないというのはなんかオカシイ。


なんていうしゃちほこばったゴタクはさておき、美味しいサンドウィッチにシャンパンで気分はすっかりよくなってコンサート会場へ。かろうじて入手したチケットは「このホールにこんな高い席あったの?」というほどの天井桟敷で、ステージ上の人影の表情までは見えません。でも文句をいってはいけないのです。この場所にいられるだけで感謝しなくて。


コンサートは


一日明けても蘇るこの湧き立つような感動はなんなんでしょう。


培われた完璧なテクニックに裏付けされた音の精緻、音を奏でることの喜びをストレートに表現できる感性、長時間を後半に向けてよりパワーアップできる体力。


冷静な情熱をマグマのように熱くできる達郎さんのミュージシャンとしての能力は、LP CDで聴いてきた私の30年の喜びをこの一瞬で爆発させてくれるように計り知れない凄みを持っていました。


唄うための高いテクニックは、CDでは精巧に創り上げられているのに、コンサートでは自由で変幻自在で軽やかな上、圧倒的にパワフルです。アルバムでは上手に思えてもライブの映像を見ると目を覆いたくなるような一流と言われるミュージシャンが多い中、ライブでより凄みを伝えられる音楽家は、ジャズ、クラシック分野、スティング、忌野清志郎井上陽水以外で見たことがありません。


最初は会場のせいかと思われる音のぐしゃっと固まったようなストレスは、最初のMCが入った次の曲からは見違えるほどクリアになっているのは、きっとPAの技術の高さ、照明も舞台も、そっけないジャズ、クラシックの舞台しか知らない私にはわくわくさせるものです。


さらに特筆すべきはバック・ミュージシャンたちです。鋼のチョッパー伊藤広規、ソロでは例のブロックコードで盛り上げに盛り上げる難波弘之チョーキングで独特のもったりうねる様なギター佐橋佳幸、この人のアルト ソプラノサックスがなければ達郎ミュージックは存在しない土岐英史、センスの塊のような柴田俊文、そしてそして天才小笠原拓海


特に小笠原さんのドラムスは、初めてスティーブ・ガットを聴いた時のよう興奮しました。24歳でこのテクニック、センス、パワーです。20代前半のころ周りにはすぐにプロで通用するようなうまいドラマーが何人もいましたが、彼らと比べても月とすっぽん。ついに出てきたかぁこんな凄腕・・・と小躍りしそうにワクワクさせてくれます。これに達郎さんのカットギターが加わるのです。このギターカッティングが生で見ると目が点になるほどの超絶。切れがある・・・なんていう陳腐な言葉では物足りません。タメがあって、ビートが力強くて、弓のようにしなかで、自由で、のびやかなのです。バック・ミュージシャンがそれぞれに長い興奮するソロを繰り広げるパートでは、達郎さんのギターカッティングがバンドのリズムを完全に主導するのです。まるで、カウント・ベーシーバンドのフレディー・グリーンみたいに。マイルスバンドのレジー・ルーカスに感動したとき以上に目が離せないギターでした。


こんな興奮する音楽が繰り広げられていると、手拍子なんてもってのほか、手を打っている間に「あっ、このリフ、アルバムでは出てこないけどカッコイイ!」と手が止まり、「難波さんの三拍目の音がCDとは違うけどこれもイイ!」と再び立ち止まり、「どわぁぁ、小笠原さんスゲッ!スゲッ!!」と涙が出そうになり「この曲の最初のドラムス、CDでは打ち込みだけど、生音だとこんな風に、打ち込みにはそれなりのわけがあるんだよなぁ」・・・音楽に集中すればするほどただのノリノリだけで音を楽しむことなんぞもったいなくてできなくなるのです。ましてや立ち上がって踊りだすなんぞ私には苦痛です。座っていたってこんなにノッテルのに。。。


圧倒的な三時間強。至福至高の感動はまだ冷めません。


次回のコンサートは興味のなかったファンクラブにも入って、店は・・・当然休みます。