職人不要?


愛用のリーディング・グラス(老眼鏡って言いたくない)の柄が壊れてしまい、修理している最中に、予備の眼鏡まで折れてしまって、廉価店に出かけてみました。


よく思うのですが、小さな田舎町にこのあふれるめがね屋さんの多さはなんなでしょう。廉価なお店の乱立はすごいもんです。


初めて暖簾をくぐる(暖簾はないけど)廉価店は¥5250 ¥7350 ¥9450の三種類にきれいに分類されています。レンズまでつけてこの値段。


「えーーー!眼鏡ってこんなに安かったんだぁ」


メガネは10年ほど前からおつきあいをしている近所の信頼している店一軒しか知りませんでしたので、リーディンググラス一本の値段の価格差は10倍、しかも30分で出来上がるというのは世間知らずの私には驚きでした。




むかぁぁし、私が子供のころには眼鏡屋さんは職人仕事でした。


「あのお店で最初に眼鏡を作ってもらうと、ちゃんと視力にあったものができる」と。噂の職人さんのところへは朝一番、新聞などの細かい文字を見ないで来てくれ。なんていう経験がものをいう視力の計測をしていたようです。


今では、機械を使ってあっという間に計測するらしいく、件の廉価店での対応を見ていると、ある程度の研修でできる作業で、修行を重ねる職人仕事ではなくなってしまっているのですね、きっと。


私のお気に入りの眼鏡屋さんのご主人は、いわゆる修行をされているようで、その豊富な経験値が値段には変えられない安心感につながっているような気がします。ともかく、計測能力だけでなく、選ぶ目が職人なのですから。



そういえば、料理の世界でも今のような不景気になる以前から、ちゃんと修行を経た30代くらいの職人の行き場がなくなってきているという噂をよく耳にしました。


巷では居酒屋さん大全盛で、ざっと見渡しても街を席捲している大手の居酒屋さんには店長ですら職人の資質は100%不要な店ばかりです。ちょっと気の利いた店でも職人は一人いれば十分、多くの職人を抱える店はこれからどんどん少なくなって行くんでしょうね。30代の鼻っ柱の強い職人なんてオーナーも使いづらいし、居酒屋さんでは居場所がなくなっているのです。


眼鏡屋さんに職人が不要になったように、料理店にも職人不要の時代が来てもおかしくはありません。