昔の家庭料理


TVのやることですから目くじらを立てるようなことではないのですが、料理のこととなると気になってつい口を出したくなります。



まず見ることはないお昼の番組で、有名司会者が「母の思い出の味」「イタリアの思い出の味」と題して自ら料理をしていました。


「母の思い出の味」は白菜と豚肉の鍋。豚肉(ばら肉と肩ロース)と白菜たっぷり、生姜をざくざく切って驚くほど、水はほとんど入れないで20分ほど土鍋で焚きます。


これって有名なピュエンローに生姜の香りを大胆につけたものじゃぁ?


母・・・となる方は年齢から想像するに戦前生まれのはず。ピュエンローが世の中に現れたのは忘れもしない妹尾河童さんの著書(たぶん「河童のスケッチブック」)です。すでに料理の世界に身をおいていた私には「おお、こういう鍋ありかぁ」とかなり衝撃的であったことをよく覚えています。私の記憶では、こういうシンプルで目から鱗の鍋というのはそれ以前には発表されたことはありませんでした。日本人の鍋の意識にはこういう発想の転換は全くなかったのです。


昭和も40年代くらいまでの日本は家庭料理のバリエーションは豊かではありませんでした。いわゆる「茶色いおかず」ばかりが卓袱台に並んでいたのです。創作料理も洋風料理もまだまだ少なく、情報量は今とは比べものにならないくらい貧弱でした。なにより食への関心がずっと低くて、グルメという言葉も食べ歩きなどという言葉は存在もせず、料理本は本棚で数えることができるほど少なかったのです。


時代を遡るとき世の中の意識をいまと同じように考えてしまうことは危険です。こと食に関しては「昔はよかった」風の論調や「昔の○○は美味しかった」のご説には一歩ひいて見ておいた方がいいのです。


日本の食が豊かになってから半世紀は経っていないのです。




もう一つ「イタリアの思い出の味」はサンレモへ取材に行ったときのカルボナーラ


中身はベーコンとニンニクを炒め、茹で上げたパスタを玉子の黄身で和えるものです。クリーム系もチーズも入りません。最後には醤油までかけるってヤツ。


「実際にこんなのを食べた」とは一言も言っていないので罪はないわけですが、ベーコンパスタの玉子の黄身和えをカルボナーラと呼んでしまう居心地の悪さ、さらには「どう見ても塩入れすぎ」と思える味付けは「美味しい!」と叫ぶゲスト達がかわいそうに見えます。


心の片隅で思うのは「イタリアの方大目に見ておいてね」ということ。


ほーーんと目くじらをたてることじゃぁないんですけど。