夢心地


想像してみていただきたい。


例えばちょっと上手いアマチュア・バスケットボールチームが試合をしている時、会場に前触れなくマイケル・ジョーダンが入ってきたとしたら。


想像してみていただきたい。


例えば地方都市で子供達にバイオリンを教えている教師が、一年に一度のリサイタルで、会場に吉田秀和氏が座っているのを見つけたとしたら。


想像してみていただきたい。


田舎町の従業員10人くらいの会社が社の命運をかけた新製品のプレゼンテーションをしているときに、会場にスティーブ・ジョブスが入ってきたとしたら。



大げさといわれるかもしれませんが、昨日私が味わったのはまさしくそんな感じであったのです。


ご来店をいただいたお客様は、サービススタッフによると「器も食材もものすごく詳しい方ですねぇ。瓔珞もすぐわかりましたし、黄瀬戸も。。。料理人には見えないんですが」


お酒のご注文をいただいて私もお座敷に入ると日本酒への見識もおありになる。予約名をもう一度確かめて・・・・あれぇぇ・・・もしかすると、と、次にお座敷に入ったときに「大変不躾ですが、○○さまでいらっしゃいますか?」とお伺いすると、ちょっと戸惑ったように「はい、そうです」と。



15年も前から憧れの存在でした。まさか前触れもなくこんな田舎町の田舎料理屋でお会いできるとは。



1990年代半ば、当時群をぬいた料理雑誌が創刊されました。


料金は一年分前払い、どんな雑誌が出来上がるのかは全く未知で、編集長の力だけを信じて料金を振り込んで出来上がりを待つという桁外れの企画。しかも第一号は「もうちょっと待ってね」と少々遅れるほど。しかしながら大手出版社にいらっしゃるときからその編集長その高名を存じ上げていた私は、ワクワクしながら出来上がりを待ったのです。


郵送されてきた第一号は予想をはるかに超える出来上がりで、表紙の写真から度肝を抜かれたのです。内容はさらに。


最近の料理雑誌や男性誌女性誌の料理特集といえば、東京周辺のレストランや菓子店の紹介ばかりで、三年後に読み返しても取り上げられていた料理店はうわさも聞かないか、下手をすれば閉店していてもおかしくないほど、目先の情報を羅列するだけのものばかりです。


その料理雑誌は全く別のものでした。毎回の特集は今見ても色あせていませんし、連載の中には未だに読み応えを感じるものがたっぷりなのです。さらにいえば、その当時わけもわからず読んでいた記事が今になってやっと理解できるというほどの内容といえばわかっていただけるでしょうか。


私の場合、雑誌のバックナンバーを溜め込むことは頻繁ではなくて、料理雑誌でも大切な記事だけを切り取りますし、手元に残しているものと言えば、創刊間もない頃のブルータスの一部の特集や、ワインの特集雑誌の一部をとり置くくらいなのに、この雑誌は創刊号から5年分くらいはもれなくとってあるだけでなく、今でも折を見ては読み返すまれな雑誌なのです。


そんな雑誌を立ち上げた方、世界中の美味しいものを食べつくし、世界中のスターシェフと太い絆で結ばれている方が目の前にいるのです。(現在は雑誌媒体だけでない活動をしておられます。昨年の活躍は日本中だれもが知っているような凄いものでした)


気づいたときには料理も半ば、どんな方がお越しになっても料理をかえることも特別なテクニックを駆使することもできませんので、ひたすらまじめに後の料理をこなしただけでした。


とはいえ、
ご自身で選んで田舎町のこんな小さな店にお越しいただけたことが小躍りするほど嬉しく、お座敷では小娘のようにみっともないくらい浮かれて様々なお話をお伺いしていました。


今年は年明け早々に大物のお客様をお迎えし、次はこんなお客様。ありがたいことです。