神は細部に宿る


いい映画が細部にきめ細やかでないことは100%ありません。


伊丹映画「あげまん」で宮本信子演じる芸者ナヨコが力車でホテルに到着するシーン。力車の幌がちゃんと閉められていることを見て「ああ、伊丹監督はちゃんとわかっていらっしゃる」と思ったものです。幼い頃近所に芸者衆を送り迎えする力車屋さんがあったものですから、そのシーンをよく覚えているのです。そういうものなのです。



山田洋二映画「武士の一分」で木村拓哉演じる三村の懐にある懐紙はよれっとした懐紙でありました。一方三津五郎演じる島田の懐紙はパリッと。裃だけでなく、小物にいたるまで役柄を表すように心が配られていることに感じ入りました。


映画館で観ようかどうしようか迷った末にパスしていた映画「奇跡のシンフォニー」をDVDで観ました。プロットもシチュエーションも役者もとても素晴らしいのに細部には神が宿っていないのが辛い。映画評でよく見る「あんなにいきなり楽器をものにできない」とか「六ヶ月でシンフォニーなど書けない」などという論旨にはあまり賛成できなくて、天才と呼ばれる音楽の才能の驚愕を知っている身にはそれ自体はあってもおかしくないと思うのです。しかしながら、ピアノの音が運指と合っていなかったり(簡単なことなのに)、女性の長い髪がチェロを弾くのに邪魔になるほどの位置だったり(チェロ奏者にはありえないことです)、子供がギターを弾くシーンの指のアップがどうみても大人の指だったり・・・・綿密にやればできることにきめ細かさがないのです。TVドラマでさえ「風のガーデン」では役者が実際にひけるかどうかはさておき、チェロもピアノも音と指がきちんととあっていてちゃんとした訓練があったことが推し量れるのに、映画がこれではいけません。ストーリーの綿密さも含めて有能なプロデューサーと監督、脚本家がリメイクしたら名作になるに違いないはず。音楽好きにはもったいない映画でした。