ぼんくらな耳


長い間音楽を聴いたり演奏したりしてきて、いいものとたいしたことのないものを聞き分ける耳はそこそこ持っているつもりでいました。


二〜三週間ほどまえ毎週録音して聴いているNHKFM松尾堂のゲストはお茶大教授の土屋賢二さん。ジャズ好き、ピアニストとしても有名な方です。素人プレーヤーとしての演奏も思ったよりずっといけていてびっくりしたのでが、さらに驚いたのはその選曲眼。土屋先生リクエストの曲はどれも素晴らしくて、先生が聴く耳をもっていらっしゃることがよくわかりました。


最初にかかったジョーイ・カルデラッツオは”In The Door”渋いところを選んでくるなぁと思ったのもつかの間、次はミッシェル・ペトルチアーニでした。


カルデラッツオ同様、ペトルチアーニもデビューから知っているピアニストですが、ペトルチアーニは私には「まっ、そこそこ上手なピアニスト」くらいにしか思っていませんでした。ゆえにリーダーアルバムは一枚も所有せず、何枚かのサイド面としてのペトルチアーニを聴いている程度であったのです。何度耳に入っても「そこそこ上手」・・・・でもそれは大きな間違いでした。


ものすごく上手い。いえ、上手いというよりこれほど美しいアドリブをつむぎだせるピアニストは長い間ジャズを聴いていきも、歴史上そう何人もいない・・・というほど素晴らしい。


どうしてこの凄さを長い間理解できないでいたのでしょう。


しかも、かかった曲はアルバム”Playgroud”の"Home”という曲。”Playgroud”は一歩間違うとコアなジャズファンが忌み嫌うイージーリスニング的なおしゃれな曲の連続。”Home”もちょっとひいてしまうほどイージーリスニング・・・なのにペトルチアーニのソロは凍ってしまうほど美しいのです。


スマン!ペトルチアーニ。私の耳はぼんくらでした。あなたの素晴らしさに全然気づいていませんでした。しかも10年も前に亡くなってしまっています。


あってはならないことなのですが、見た目で潜在的にマイナス要素を加えていたのか?美しい女性のクラシック、ジャズプレーヤー、年少でもてはやされるクラシック、ジャズプレーヤーを見ると、メディアがもてはやす分だけマイナス点を与えてしまうように、身体的ハンディキャップをもったプレーヤーが実力以上に評価されるメディアに対する反発感があったのでしょうか?ペトルチアーニはそういう半端な評価とは異次元にいるのに。


ああ、だめな私です。これからいっぱい聴きます、ペトルチアーニ。土屋先生に感謝。