おしゃべりの功罪


昔のお話ですが、net上で「あの店は聞いてもいないのにべらべら講釈たれやがって二度と行かない」と書かれたことがあります。


お酒をお出しする際にも基本的に聞かれなければ多くを語ることはありません。座の雰囲気を見た上で(一見お客様の場合は特に)お話をすることもありますし、まったく無言のままお酒だけを置いてくることもあります。料理の場合もお客様同士のおしゃべるの邪魔にならなければ「○○です」と言葉を添えてお出ししますが、無理に「これはこんな風に作りました」とか「めったに手に入らない○○です」などと言うことは避けるようにしています。


それでもこんな風に公に批判する人がいるかと思うと、素性のわからない一見のお客様には一言も言葉を発っしたくなくなるというモンです。




「講釈をたれる」のはお客様のご質問があるときです。


先日の二組のお客様はいい例です。二組は同じ業種の同世代のグループ。予算も全く一緒でお酒も同じく日本酒のご注文でした。


片方のグループは料理もお酒ももちろんいいものをおだししているつもりでも、お客様同士のお話が中心で料理にもお酒にも一言もありませんでした。そういう方々にはおしゃべりに割って入って講釈をたれるような愚を犯すことはありえません。希少な十四代羽州誉をお出ししようが、極上の蓴菜をお出ししようがご興味がなければそれを説明するわけにはいきません。食べてくださるだけでありがたいことなのです。


もう一組はお得意様のグループでした。十四代羽州誉を持っていけば「あれ?この十四代新しいヤツ?」とか「この蓴菜なんでこんなにぷるぷるなのぉ?」とか「普段魚の皮って食べないけどこの甘鯛のうろこと皮、美味しいねぇ」とか。さすがにお得意様です。褒められて伸びるタイプ(?>>図に乗る・・・の方が正しいかも)の私をよくご存知ですっかり豚が木に登ってしまいます。そうなればお出しするお酒もお出しする料理の気合の入り方も違うのが人情というものです。プロとしても保つべきレベルは同質でも気持ちが違うというのが大きいのですね。こういう方は「講釈をたれる」とはおっしゃいません。「会話が楽しい」とおっしゃってくださいます。


料理屋の使い方は様々です。大切なお話をするためであることもあれば、料理を楽しむためであることも、お酒を楽しむためであることも、ご相伴相手との関係をより密接にするためのこともあります。しかしながら、料理屋の使い方、職人との接し方が上手な方のほうが美味しいものを食べられることは間違いのないことなのです。