名無しの批判


つい最近でも、ダウンタウン・松本仁志の「硫化水素自殺への批判」がnet上で話題騒然となっていることがメディアに伝えられていました。いつだったかの倖田來未発言や沢尻えりか発言もきっかけはnet上での批判が相次いだことに端を発しているそうです。


これらの批判はどうやら2チャンネルにスレッドがたって、どこのだれだかわからない「名無し」やら「通りすがり」やらの書き込みらしいのです。2チャネンルを激しく嫌悪している私にはその事実さえつい最近知ったことでした。


こういう素性の知れない輩の発言が沸騰したからと言って、マス・メディアがそれを世論であるかのように取り上げ「世間ではみんなこういっている」かの代表であるかのように取り上げる傾向は間違っています。


net上に星の数ほどあるwebサイトでの様々な発言は、聞く耳を持つべきものであっても発言をしている人間の素性を必ず確認することは当たり前です。その言葉が自分の心に響くようなものであればなおさらです。激しい意見であればあるほどどういうバックグラウンドをもっている人の言葉であるかを知らなければうかつに聞けません。


今では、バックグラウンドなど一切関係のない匿名性を武器にnet上で言いっぱなしの唾棄するような品位を欠く発言をよく見かけます。「”TVで映されながら””実名で運営するサイト上で”お前は同じ言葉をはけるのか?」と問うたらどうでしょう。少なくとも私はnet上で匿名性を利用して口汚い言葉を公にしたことはありません。世間に対する取るに足らない言葉は夫婦の間の食事の話題くらいが丁度いいのであって、同じ言葉を自分の言葉として公にするためにはそれ相応の見識が必要です。


よく拝見する内田樹先生のサイトのコメント欄の醜悪な書き込みがずっと続いているのを見て、昨日も一昨日も日記の更新が嫌になるほどささくれた気持ちが充満していました。


「お天道様に顔向けできない」ような態度をとることに、昔日本人は恥の気持ちを持ち合わせていました。


「通りすがり」とか「名無し」とかmailのあて先もわからない匿名の批判や悪しき言葉はきっぱり無視しようではありませんか。