ダラボンのスティーブン・キング


映画「ミスト」がうかつにもスティーブン・キング原作〜フランク・ダラボン監督であることを知らずにいました。


キング〜ダラボンといえば言わずと知れた「ショーシャンクの空に」「グリーン・マイル」の二つの超名作コンビです。期待しないわけがありません。慌てて観に出かけました。



ショーシャンクの空に」も「グリーン・マイル」もいわゆるホラーではありません。今回の「ミスト」は「霧(ミスト)の中に得体の知れない恐ろしい何かが・・・」というホラー、ダラボンのホラーってどんな?・・・と映画が始まると、かなり早い時間帯でミストの中の恐怖の対象の一部が現れてしまいます。映画の定石では恐怖は見えないから恐ろしさが増幅するのです。(「ジョーズ」がいい例です)「見せちゃっていいの?ダラボンとしたことが・・・」と頭をよぎったのは大きな間違いでありました。


映画が進むにつれてわかったのは、ダラボンが描こうとした恐怖の対象は人間であったということです。スーパー・マーケットへ逃げ込んだ住民の疑心暗鬼。だれも相手にしていなかった一人の神(ユダヤ教?)の狂信者が、怪物の恐怖が増すにつれて人々に支持されていく怖さ。狂信者の言葉に殺人がおき、「生贄を!」を信じる人々への恐怖。そしてミストの中の怪物への恐ろしさと人間への恐ろしさが増幅した結果の、よき人々の救いようのない最終結末。人間の愚かしさが生んだ恐怖、その恐怖への慄きが生んだ信仰の愚かしさ、その愚かしさから逃れたと思われた人々が最後に下した愚かしさ。恐怖の外から覗いている私たちも、簡単にその愚かしさの連鎖に巻き込まれる可能性をもっていることをこの映画は語っています。


監督である以上に脚本家としてのダラボンの凄腕を見せつけられた映画でありました。