トマトの迷信

clementia2008-02-18



今年も谷野さんのシシリアン・ルージュを使わせていただく時期がやってきました。


このトマト、甘さを追及するトマトではなくて、酸味と甘味のバランス、肉厚な食感を楽しむトマトです。「トマトは甘けりゃいいってもんじゃない」ということを教えてもらったトマトでもあります。


この十数年の日本でのトマト栽培の充実振りは素晴らしいものです。ところが今振り返ってみると、生産者も消費者もひたすら糖度を上げて生でかじって甘いトマトを求めてきたような気がします。フルーツのようなトマト、あまーーーいトマトが最上であるかのような消費者とメディアの幻想がずっとつきまとっています。下手をするとイタリアンの職人さんまで生で食べて甘いトマトばかりを追い求め、火を入れるトマトまで「甘いことが正しい」と使われる方を見かけます。


これって、「牛肉は霜降りが最上」といかにサシがたくさん入るかを競っていることとか、「日本酒は辛口が最上」と淡麗な(いつもいうように淡麗と辛口は別のお話)さらさら感だけを求める消費者が多いことなどと同一のような気がします。


美味しさはそこにだけあるのではありません。


牛肉にはしっかり噛んでうまみを感じる赤身の美味しさがあり、日本酒には米の旨みがふくよかさとなって現れている優れた日本酒がたくさんあります。同じようにトマトは生で美味しいものには甘さだけでなく酸味と旨みのバランスが整ったものがあり、火を入れて美味しいトマトの場合味わいの凝縮感と身の厚みが大切なこともあります。さらにドライトマト・・・となれば、そのヴァリエーションは多岐にわたるのです。


消費者が「トマトは甘いだけじゃぁない」と声をあげれば、生産者の目も見開かれるかもしれません。


ところで、おいでになっていたびそうさんが「シシリアンって名前なのに”赤”はロッソじゃぁなくてルージュなんですね」と言われて、ハタと気づきました。イタリアンとフレンチ両方で使ってもらいたいから?・・・ってのは考えすぎ??