能力の差


ノロマであることの痛みは充分にわかっているつもりでいます。


運動音痴な私は、小学校の頃逆上がりがなかなかできなかったですし、自転車に乗れるようになったのも近所の子よりも遅く、野球は9番ライトのミソッカスでした。ノロマの劣等意識は、ほかの事で秀でていたとしても払拭できるモンではありません。


私の場合、同じことは板前修業でもいえて、桂剥きができるようになるのに人よりも時間がかかりましたし、玉子焼きを上手に焼けるようになるのにもたっぷり秘密練習をしなければなりませんでした。なにしろ不器用なのです。


ところが今になってわかるのはそういう技術というのは、時間がかかっても繰返せば必ずできるようになるということです。よく板前の熟練の技術とか、秘伝の技などとメディアで言われたりする仕事も、99%は万人が必ずできるようになる仕事なのです。要は根気よく繰り返し練習すること。


自分のつらい経験をたっぷりもっているがゆえに、調理場で新人が教えたことがなかなかできないからという理由で怒ったり、けなしたりすることは私の場合100%ありません。人には必ず技術的な能力の差があって、その差は絶対に埋められるものだということが身をもって知っているからです。新人を怒らなくてはならない理由はもしかしたら教え方が悪いからかもしれないと考えた方が正統であるケースの方が多いのです。その子の能力を見極めたうえで教え方を工夫するのが先輩の務めです。若い頃自分自身心の中で「けなす前にちゃんと教えてくれよぉ」と秘かに思ったことがあることを忘れてしまうようでは、人の上に立つ資格はありません。


絶対に埋められない能力の差は「舌の感性」や「美意識」の方にあると思っています。それは能力のあるものが常に磨いているからこそ高められていきます。そこには「天性」というのがあると信じています。どうやってもかなわないなと思うような職人さんには「天性」があるのですね。