レニー・ゼルヴィガーの驚異


休日に「ミス・ポター」を観て来ました。


映画の冒頭、ピーター・ラビットの生みの親ベアトリクス・ポターを演じるレニー・ゼルヴィガーの語り口だけで、主人公の階層、性格、年齢まで・・・・英語がわからない私でもイメージできてしまうのです。そこから全編通してレニーの演技力にひたすら恐れ入りながら心地よく流れるストーリーに酔いしれました。そこにはお涙頂戴のための不治の病も、愛らしさを強調した可哀相な動物も、CGを使ったことを誇らしげに披露する美術も、主演の可愛さやイケメンだけに頼ったキャスティングも、色恋を涙にすり返る過剰な脚本も、何もないのに映画人がきちんと手をかけて真っ当に作った佳作に仕上がっています。中でもイギリスの湖水地方の美しさは俳優たちの上質ない演技の勝るとも劣らないもので、この風景を見るためだけに映画館に足を運んでもいいのではないかと思うほどです。


同じ日の夜TVで見たランドスケープ・クリエーターの仕事は、都市空間のデザインのお仕事です。たとえば近代的なビルの狭間にある公園をゆとりと潤いのある空間に仕上げるクリエイティブな仕事は、普段映像で見れば好奇心をそそられる内容のはずなのですが、映画で見たイングランド湖水地方の風景が頭に焼き付いてしった私には、都市の中に「自然」を想像しようとする試みがすべて寒々しく感じてしまいました。都市と田舎の決定的な違いがあることはわかっていても、同じように「人が手を加えた空間」がこんなに違うことに慄然としてしまいます。50年たっても同じ風景が保たれる場所と、20年後には人々が見向きもしない場所になっているかもしれない空間。ちょっと前に見た同じイギリスのコッツウォールの美しさを紹介したTV番組やフィンランドの90%は人の手が入ったという森の風景を見ても、日本人の自然との向き合い方に疑問符が残るのです。