お父さんのためのカジュアル・ウェア


ニュース番組のコラムのようなパートで取り上げていたのは、カジュアル・ウェアが様にならない中高年お父さん(この時は団塊の世代)のために、デパートがアドヴァイザー・スタッフ使ってコーディネイトをして差し上げているという話題でありました。どちらかというと「ダメダメ中年お助けプロジェクト」のような雰囲気であります。


以前にカジュアル・フライデーとどこかのだれかが花火をあげたときも、団塊の世代はカジュアルを着こなせないとメディアは盛んに騒いでいました。


そんな風潮を見て「ちょっと待てよ」と私は言いたい気持ちになります。


私の兄貴世代、団塊の世代の若い頃は確か「VAN世代」ではなかったでしょうか。戦後の貧しい時代から男性がお洒落をするエポックメイキングな時代を支え盛り上げたのがこの世代なのです。カジュアルが下手くそどころか、カジュアルが一世を風靡した時代の担い手であったはずです。


そういう先達へのリスペクトなくして「年寄りはダメだ」のようなメディアの取り上げ方、大手量販店の志向はオカシイではなか、と声を大きくして言いたい。


若い頃ファッションに目覚めたお父さんも、仕事に追われ子育てに追われて着飾ることにお金をかけられなくなります。お金を使えない世代へのファッションの提案やマーケッティングがおろそかになるファッション業界にも問題は多々あるのです。大体、お金がないから素敵な服が買えないではなくて、着るべき素敵な服が見当たらないから着られないのです。日本は特に流行ばかりを追いかけ新しいもの新しいものへと業界は突き進むのに、消費者が本当に欲しいものがない、長く定番で着ていくものがないおかしな国です。ファッション業界はおろそかにされていた世代に長い時間をかけたマーケッティングをしてきたのでしょうか?


近年「チョイワル」と勘違いさせてお神輿をあげている30代-40代のファッションにしても、メディアでよく見かけるのは20-30万円のスーツとか、4-6万円のシャツとか、5-8万の靴、オーダーメイドの品々。。。高級志向は結構ですが、世の中の30-40代が皆IT長者ではないのです。憧れだけをもりたてられても実際に手に出来る服は、子供の教育費を差っぴかれた厳しい小遣いからしか買えないのが現実なのです。


ファッションへの志向はあっても子供に、家にお金がかかって気持ちを封じ込めなくてはならなかったお父さんたちの稼いだお金は、ファッション業界がこれまで一番のお得意様にしてきた若い世代のところへ流れていたのです。「お金をかけてやってきたあんたたちにセンスがないなどと言われたかぁない」と言いたいはずです。


実際問題、一時大学生二人を抱えていたわが身を振り返ると、毎年BMWの新車を購入しているほどのお金がドカドカ出ていく恐ろしい家計状態なわけで、そういう中ではカジュアルもへったくれもないのであります。


子供が手が離れてやっと自分たちのためにお金を使えるようになった世代に向けて、ファッション業界は「とうさん改造のためのアドヴァイス」ではなくて「お疲れ様でした。これからは昔を思い出して自分たちのために」という気持ちであるべきなのです。


とはいえ、結局業界の利潤追求のためのカッコウの餌食になっていくのが悲しい。