映画「東京タワー」〜店の歴史 番外


休日に映画「東京タワー」を見てきました。


松尾スズキの脚色が素晴らしい。その才能に畏怖の念を覚えるほど素晴らしいのです。親子の半生を描いた小説には、物語の骨格を作るであろう様々な逸話がちりばめられているのですが、それをバサバサ切り捨てた上で、小説の根底に流れる親子の愛情を抽出するために必要な部分だけで再構築しています。「原作を超える映画は未だかつてない」と信じている私には驚きです。小説のストーリーを追うことだけにとらわれて失敗している映画がごまんとある中で、小説のエッセンスを表現するために別の手法で新たな作品を創りあげてしまったといっていいほど見事に描ききっているこの映画の立役者は松尾スズキ氏ではないかと思うのです。



「ハンカチを忘れないでください」とか「”お涙頂戴は嫌いだ”という辛口の批評家の涙さえさそう」・・・と、小説でも映画でもメディアは泣ける小説 泣ける映画「東京タワー」を強調しています。さらに劇場予告編でも不治の病や家族愛で涙を誘わなければ映画として興行できないのではないかともうほど、これから封切られる映画も「涙 涙 涙」でヘキヘキします。日本人の感性はそんなに陳腐で情けないものではないはずです。少なくとも私自身は、肉親の病、死を何度か経験して、それを劇的に描くことで涙を誘う手法にはげんなりです。「東京タワー」の主題はそんなありきたりの涙と感動ではないはずです。事実映画でも小説でも本編で涙は一滴落ちませんでした。



実を言うと、「東京タワー」を楽しみに観にいったのには別の理由(わけ)があります。娘がこの映画のフード・コーディネータースタッフの一員として参加していたのです。すでに高校時代からフード・コーディネーターへの道を探っていた娘は、大学に通いながら第一線で活躍しているフード・コーディネーター飯島奈美さんのもとで丁稚奉公をしていました。様々なCM撮影の裏方スタッフとしてお手伝いをさせていただくことで、まだ独り立ちするためのレールが見えない職業の空気を吸うことが目的です。飯島さんは映画「かもめ食堂」のフード・コーディネートの実績を評価され、今回の「東京タワー」でもお仕事をされました。これまで多くのCM撮影では当然表に名前が出ることはありません。娘が今回初めて「タイトルクレジットに名前載せてもらえるんだってぇ」と連絡をくれ、夫婦で勇んで映画館に出かけたわけです。


私たち夫婦にすれば、お手伝いとはいえ学生をしながら将来を見据えて活動している娘の名前がほんの一瞬とはいえ残るというのは、彼女ががんばった証拠として本人以上に嬉しく誇らしいものです。映画本編では全く泣かなかったのに、字幕に娘の名前が見えた途端にあふれる涙を抑えることが出来ませんでした。劇場を出る時目を赤く晴らしていたのはこんな親バカな理由(わけ)からであったのでした。


考えてみたら娘からみたら四代前の曽祖父が、小学校に通いながら丁稚奉公に出たように、娘が学生をしながら丁稚奉公から身を立てようと考えるのは私たちに流れる「血」故でしょうか。