店の歴史その二


祖父のお話の続き


開店後順調に店はのびていったものの、戦争ですべてが灰燼に帰しました。この地は艦砲射撃で市内のほとんどが焼け落ち、店も跡形も無くなりました。


終戦後、再度一から出直したのは他のすべての日本人と同様です。


祖父は職人として一時代を築いた後、戦後は仕事と平行して地元の自治会活動にも積極的に関わってきました。父に次第に仕事の多くを任せるにしたがって自治会の仕事が次第に増え、敵を作らない調整派が信任を得たのか、全市の自治会連合会長に祭り上げられて20年近くその任についていました。


ですから、私の子供時分にはすでに調理場にいる祖父よりは、学校の行事で来賓挨拶をする祖父、市役所の会議や視察に飛び回っている祖父の印象が強くあります。当時料理人というとまだまだヤクザな印象があった時代に、正反対の公の立場を得て生き生きと働いて、この地の最初の市制功労者の一人に選ばれたのは一族の自慢でもありました。


孫から見た祖父は厳しい料理人の側面はまったく見えない温厚な人で、全く敵のいない人でした。有難いことにこれまで祖父のことを悪く言う人に一人も出会わないのは身内の贔屓目だけでもなさそうです。亡くなってから二十年以上経っても「昔お世話になりました」というお話を伺うたびに、祖父の残してくれた暖かさは孫子の代まで店を守ってくれているような気がするのです。一族の長としての祖父は今思っても本当に尊敬できる存在でした。