星いくつ?


レストラン・ガイドの雄「ミュシュラン」が東京版を作るのだそうです。東京方面の飲食店は戦々兢々なんでしょうか?



山本益博氏が「東京味のグランプリ」を出したのが確か1982年。個人の責任のもとでレストランに点数を付け批評した日本では初めての本という意味で画期的でありました。それまで日本にはその類の批評は皆無であったのです。


netの世界で私がレストラン批評を初めて目にしたのが「ジバラン」、1995年でありました。個人でwebサイトを持つことがまだハードルが高かった頃、素人のレストラン批評がwebを通じて世界に発信できることを目の当たりにして新しい波を感じたものです。その内容も私たち料理人が襟を正して耳を傾けなければならない一般食べ手の声が聞こえたのでした。



そして今、猫も杓子もブログを書くようになって素人のレストラン点数付けも花盛り、匿名の素人がレストランに星をつけて批評しあうサイトも大繁盛です。


山本益博氏がレストラン批評のスタンスを変えてきたように、「ジバラン」も「役割を終えた」とすでにサイトを閉じました。個人の意見がweb上で気軽に発信できるようになった今、レストランへの点数付け、星付けに未だ意味があるのでしょうか。


少なくとも私が見かけるサイトの批評めいたレストラン話や点数付けには、1980年代の山本益博氏や1990年代の「ジバラン」のように料理人が耳を傾けてみようと思うようなお話や、ランキングは99%ありません。逆に「こんな話を書くためにレストランで食事をしているのだろうか?」「点数をつけるためや、批評をするために食事するという根性が理解できない」とさえ思うのです。


限られた人生の食事の時間は、幸いなことに日本では飢えを癒すためではなく楽しむためにあります。であるなら、食事に点数を付け、「あれがだめ」「ここは直したほうがいい」と批評することを発信するのではなく、「私がどんな風に楽しめたか」を公にしてみたらどうでしょう。お気楽に主観であることを大前提に点数付けをするよりは、ずっとやりがいのある作業のように思います。


100人のお客様に同じように「いただくお足以上の仕事でありたい」と願う多くの真っ当な料理人たちにとって、たった一人の勘違い見当外れの「苦言」や点数付けは、99人の「美味しかったよ」の重みよりも遥かに心に傷を残すのです。