昔の料理屋追記


んでは、昔の料理屋はなんのためにあったのか?・・・というと、たとえば会合の場所であり、社交の場所であり、芸者衆とのお遊びの場所であったように思います。


某公の人事は二月ぐらいから小部屋で、「勉強」と称して偉い方が密談でおおよそを決めるのが通例でした。会社の契約も接待があってそこで根回しと腹の探りあいも当たり前でした。「市会議員の選挙の時には料亭は暇になる」といわれたのは、普段使いがその時期にはいらぬ詮索をされたくない・・・と使わなくなったのでありました(くどいようですが昔のお話です)四人以上の集まりに芸者衆が入らないのでは「しみったれた幹事だ」と思われても仕方がありませんでした(いまでの70代以上の方はそういう頭があります)子供の受験の時に受験校の先生をご招待して「まっ一杯」というのもよくあることでした(くれぐれも昔々のお話です)一人で料理屋を使うときには芸者を呼んで、さしつさされつ飲み食べるのは通常のお話でした。


今の常識では接待はもちろん、お役所にボランティアで集まる会議にお弁当を用意するだけでも批判の対象になる世の中です。接待で世の中が動いていたというのではなく、杓子定規に会議室だけでは図れない様々な腹の探りあいも、料理屋の場で行われたいるのはおかしくない時代は長かったのです。


何度も言いますが、今の価値観で計っては理解できないことばかりです。料亭政治とか接待漬けとかいうメディアが作った正義感あふれるお題目では、その当時の日本人の心は推し量れないでしょうね。