マイケル・ブレッカー死す


偉大なサックス奏者マイケル・ブレッカーが亡くなりました。


彼の演奏にこれまで何度音楽の熱い血を沸き立たせたことか。


1970年代、世の中の最先端のテナーサックス奏者は、ウェイン・ショーターを除いてほとんどがコルトレーンのコピーに明け暮れていました。テナーを擁するコンボはエルビン・ジョーンズみたいな太鼓、マッコイ・タイナーみたいなピアノにコルトレーンみたいなサックスばかりでした。が、しかし、コルトレーンがなくなって10年経ってもまねはまねで、コルトレーンを超えるテクニックとパワーを持ったテナー奏者は現れなかったのです。


1970年代後半になってのマイケル・ブレッカーの出現は「おお!彼ならコルトレーンの呪縛から放たれるかも」と思った瞬間でした。


と、書けば格好いいのですが、実際にはその当時フォービート・ジャズこそ正統、フュージョンと名付けられた「チャカポコリズム」なんぞジャズとは認められない・・・・と偏見に凝り固まっていた若かった私には、フュージョン界でデビューしたマイケル・ブレッカーを評価できる耳を最初は持っていませんでした。


そういう「こだわった耳」しか持っていなかった私に目を開かせてくれたのもブレッカーだったのです。


マイケル・ブレッカーが参加した「ステップス」 そして、チック・コリア「スリー・クオーテット」の二つのアルバムを聴いてのめり込み、フォービートもエイトビートもシックスティーンビートも要は表現のためのリズムを多様化させているだけのことで、音楽としての創造性はジャズの発展形として成立していることを教えてくれました。ブレッカーが吹けば、リズムはどうあっても同じように素晴らしいブレッカーであるのです。それ以降音楽の好みの幅は一気に広がっていきました。


リーダーアルバムを最初に発表したのは、実力と名声からするとかなり後になってからであったのですが、スタジオ・ミュージシャン、セッションマンとしてのブレッカーは、様々なステージで名演を残しています。もう彼の怒涛のようにあふれでるパッセージの連続、うなってしまうようなソロの構成力、計り知れないパワーに触れられなくなってしまいました。しばらくブレッカーに明け暮れてみようか。


合掌。