進化は正しいか?


十五年ぶりにある和食屋さんに出かけました。週末ともなるとお昼時には駐車場は常にいっぱいで、刺身定食や天婦羅定食、丼などお手ごろに気軽に楽しめる店です。いつもの賑わいを知っていましたので「久しぶりに行ってみようか」と家族と暖簾をくぐったのです。


出てきた天丼、刺身定食などなどは冷静に見れば、確かに十五年前に食べたのと比べてもレベルは落ちていない普通に美味しい定食なのです。なのに自分の舌は全く満足していません。


よく考えてみると、職人として私は十五年の間にそれなりの変化をしているのです。お米は地元の農家さんとのお付き合いでつきたてをご飯の献立によってブレンドを変えていただけるのが当たり前になりましたし、お漬物は京都の漬物屋さんとの密なお付き合いが進みました。味噌は夏冬別々にいいお店から手に入るようになりましたし、各味噌にあわせた出汁も変化してきました。メインとなる料理はそれ以上の変遷を経ているつもりです。田舎町の小さな店にも時流にそった変化はあったのです。いきなり変化したのではなく地味な一歩一歩ではありました。その変化が十五年前と同じ仕事を懐かしさとは思わなくしてしまっていました。古臭いというのは違うのですが、十五年間には充分に満足していた仕事に満足できないことに気づきました。


とはいえ、
お客様はいっぱいです。間違いなくこの地ではこの仕事が受けているのです。私が満足しなくてもお客様には大きな満足を与え、私ン処のサービスランチと変わらない値段で、私ン処よりも遥かにお客様をよべているという事実は大きく肩にのしかかります。こしゃくな講釈で自己満足をしている板前よりも、変わらぬ仕事こそが正しい仕事であるとお客様が判断していると認識しなくてはならないのです。


私の変化は進化ではないのかもしれません。真理はたくさんのお客様に受けているかどうかのはず。私の舌はこんなはずではないと思っているのですが。。。。言い訳はできません。