職人の美意識


店によって使う食材、出来上がる料理は当然違います。客単価の違いだったり、調理の技術の違いだったり、店の品格の違いだったり。


たとえば、昨日紹介したお椀。私の店なら「赤むつのつみれ」はお椀としてはありなのですが、「鯵鰯のつみれ」はお椀としてはなしなのです。「鯵鰯のつみれ」はざっくりした煮物替わりとしてならありかもしれません。


私の店でどんなに秋刀魚の鮮度が良くて高価で、大根おろしも最高で、これ以上ないカボスが手に入っていたとしても、秋刀魚の塩焼きを「本日の焼き物でございます」といってださないように、店には店のあるべき姿と、お客様が期待する姿があるのです。格好よく言えば職人の美意識、料理に対する見識が食材を選び、献立を作るのです。あるべき姿を身体に叩き込んでおくと、お椀のつみれなら「赤むつを使ってみようか」になりますし、香りは「青柚子と黄柚子のはざかいだから野趣を持たせて白葱っていうものありかも」になり、ここで茸が栽培では格好がつかないから、と、「天然を使おう」、小芋も「その辺で売っている小芋ではバランスが悪いので浜詰の・・・」と自然に頭が働くわけです。それは経験で培われ身につくもので、普段冷凍養殖を当たり前として使わなくてはならない状況にある料理人に、「今日はいいお客様だからいい材料を使いたいだけ使ってもいいよ」とオーナーに言われたとしても、右から左に献立がさらさら浮かぶわけではありません。少なくとも私には絶対に無理です。


美意識、見識というヤツは磨くための方法論があるわけでもなく、なにかを勉強したから身につくものでもないというのが難しいのですね。とはいえ、板前風情が大上段にふりかざして大きなことをいったところで、つまるところお客様が支持してくださるかどうかだけで決まるのがこの世界。芸術じゃぁないんだから・・・ということも大切です。