戦後の日本


NHK「その時歴史は動いた」は二回にわたって「サンフランシスコ講和条約」を取り上げていました。


歴史を振り返るときいつも思うのは、その時の世界情勢の全体像とその時代の空気をとらえてから考えるべきだということです。今年の8月15日近辺にも太平洋戦争を取り上げたドラマがあったようです。「命ほど大切なものはない」「国民の命を危険にさらした日本の軍隊は悪の集団だ」であるかのような予告編を見るだけで、このドラマを見る気は全く失せてしまったものです。戦争の時代、国民は自分の命は大切だと思っていても、現代のように「人の命は地球より重し」のような時代の空気はあったはずはなく、軍隊や軍人が悪の集団で、国全体が悪の軍によって破滅に導かれたとも思っていなかったはずです。今の時代の価値観で過去を糾弾し語るのは間違っています。



お話はサンフランシスコ講和条約とその周辺の事柄。そのころ私はまだ生まれていませんでしたし、60年安保も幼くて時代の空気がわかる歳ではありませんでした。ただ、その後の70年安保闘争にかかるまでの時代の波は感じていました。「日米安保に反対するのはちょっとばかり教養のある人間には当たり前」「共産主義革命にシンパーシーを感じるのも知識人になりたければ当然」でその後のベトナム戦争反対運動も含めて、アメリカに追従するのは愚の骨頂で、軍隊を持つなどもってのほか、改憲=戦争へ道忌むべきもの。現代のように憲法9条を気軽に話題するなど考えられませんでしたし、岸信助は国民の意思を反映しない売国奴くらいに思っていたものでした。無論東西冷戦が終る時代がくるというのも夢のまた夢という時代です。


が、
番組を見て改めて知ったのは、戦後10年ほど経って高度成長とともに育った私は、「日本は戦争に負けた国」であるという最も大きな事実を認識していなかったということでした。サンフランシスコ講和条約で独立国として再び認められたとはいえ、冷戦に西側につくことで独立を得た国が、大きな戦争で無条件降伏をした後十年やそこいらで戦勝国に対して大きなことを言える訳がないのです。戦後に生まれた私は「負けた国」の屈辱をほとんど忘れて育っているのです。


日本にやってきたダレスが「私は”交渉”にきたのではない」(交渉できる立場じゃぁないだろう)といったというのは当時の状況を物語っています。


さらに、ダレスが冷戦構造の中で「日本の再軍備」を促したのも、当時の国際常識では軍備を規制した国に早くも「もう武器をもってもいいよ」と許してくれた・・・という認識であったということも目から鱗でした。「再軍備を迫った」というのと「再軍備を許した」では認識は全く違います。


事実を事実として受け入れる以上に、その事実が当時の世界と日本の空気の中でどういう意味を持っていたかを知ることの大切さを改めて知り、私たちが知っている時代の空気も後世に伝えていく努力をしていかないと、日本はまた間違った方向に進んでしまうかもしれません。