涼一味


お茶の世界では「茶は風炉にあり」といわれるのだと聞いたことがあります。


つまり風炉の茶事がこなせれば茶人としても一人前であるとされるのだそうです。昔冷房などというものが存在しなかった頃、狭い茶室という空間で炉に火を入れても、夏の暑さを忘れるような趣向を凝らして客をもてなすことは至難の業です。そうした風炉茶の秘訣は「涼一味」に尽きるのだというのです。炉は風炉を使い、水をしっかりと打ち、茶碗に風炉茶碗を使い、懐石にはときにギヤマンを使い・・・などなど、目で耳で、五感で涼を感じさせるのです。


そういえば、夏暑く冬底冷えのする京都で、貴族たちが住んだ家は、素人目に見ても冬はとても寒そうに感じられます。あの造りはひたすら夏の暑さをしのぐためのものであるのだ・・・というのも、受験の頃有名な古典の参考書の余白に書かれていたと思い出します。



今では玄関を入った途端にお客様は冷房の冷気をかぶり、さっと汗も引いて、お部屋に案内される頃には体中で涼しさを感じる時代です。昔であれば、夏のおしぼりはキンキンに冷やしてお客様に「涼」を味わっていただこう、先付けにはガラスの器を冷え冷えにして喉にもひんやりした滝川豆腐なんぞを楽しんでいただこうと考えたものですが、今では夏でも暖かいおしぼりの方が気持ちがよく、「涼一味」のための料理の趣向はついついなおざりにされがちです。


料理人ひとりひとりが夏の暑さの中に身を置いていないと、「涼一味」を実現するのが難しいという世の中なのですね。


人間のイメージの中で「涼」を演出した古人の知恵を、冷房という機械的なもので忘れてしまうのは野暮な感じがします。