音楽長屋

clementia2006-08-24



大学時代所属していたバンドの練習場は、「音楽長屋」と呼ばれていました。


小さなリビングほどの部屋が3部屋、オーケストラの入る大部屋が1部屋の四室が薄汚れた長屋風に連なって運動場の片隅にありました。薄汚れていたとはいえ、小さな空間に集まる音楽好きは、当時の学生バンド界では「錚々たる」7つのグループを構成していました。



早大モダンジャズ研究会、ナレオ(当時すでにナレオ・ハワイアンズからブラスロックの雄になっていました) ニューオリンズ・ジャズクラブ オルケスタ・デ・タンゴ・ワセダ 早大交響楽団 マンドリン・オーケストラ ハイソサエティ・オーケストラ


それぞれがそれぞれの学生バンドの分野で当時日本のトップクラスであったと記憶しています。そこから輩出されたプロは数知れません。



ある日、音楽長屋の私たちハイソサエティ・オーケストラの練習場に、バンドのピアニストがものすごい美人を連れて練習にやってきました。レギュラーバンドの練習は狭い部屋に17名がひしめき、「ピアニッシモ」という音量はこの世に存在しないとばかりに大音量で練習する中、ちょこんとかわいらしく座った美人は、「やっぱり凄いわねぇ」「上手ねぇ」とニコニコ私のすぐ横で練習を見ていたのでした。


練習後ピアニストに、「あの美人、誰?」と聞くと、「理工スィングジャズ研究会の橋本さんっていうバカテクよぉ」と。


直後の学園祭で聴いたあの美人ピアニスト橋本一子さんの演奏は、「美人」でくくるなどもってのほかの爆発的迫力をもった凄腕で、学生とは思えないオーラさえ感じるようなピアニストでありました。


当時の一子さんは武蔵野音大に在学しながら、早大理工スウィングジャズ研にも所属し、すでに注目を浴びる存在でした。その後の彼女はYMOへのツアー参加、CM音楽や小説、プロデュース、映画音楽など、縦横無尽の活躍を続けていたのですが、なぜか学生のとき聞いたようなアグレッシブなジャズアルバムを聴くことがありませんでした。



その彼女が新たにリリースしたアルバムは、30年前に聴いたアバンギャルドに尖がったジャズに、しなやかさとやさしさが加わって、私イメージする一子さんそのものの音楽に仕上がっていました。「これが一子さんなんだよなぁぁ」


美しさはあの当時ままで。