セレブは素敵か?


TV番組「ソロモン流」ではちょっと思い出しただけでも何人もの料理研究家が出演しています。


栗原はるみ 井上絵美 山本麗子


三人ともがソロモン風ステレオタイプに描かれているのに苦笑します。



苦労の末に手に入れたセレブリティな地位、料理教室には全国からセレブなマダムが集まり、TV料理番組の常連で、雑誌には定期的に特集が組まれ、出版される料理本はその道ではベストセラーに数えられ、カフェを営業し、ショップを開き、○○をプロデュースした上に、バカンスはハワイの別荘で優雅に過ごし、高原の自宅で1000坪の自家菜園(<農家といって間違いない広さでも)では自ら土と会話し、「おうちが好き」と掃除を完璧にこなして家族のために花も活け、家族のための料理を自ら作り・・・・寝ている時間意外はすべて素敵に満ち満ちています。


私なんぞ、料理教室をといえば、丸一日献立に頭を悩まし、料理学校の講師といえば、レシピから材料の調達講義の下調べまでに四苦八苦し、朝は7:00から夜は12:00近くまで調理場でドロドロになって働いて、やっとなんとか食べていけるかもしれないという体たらくで、いくつもの仕事を完璧に軽やかに素敵にこなすなんぞ夢のまた夢、同じ料理の仕事といっても、彼女たちの1/20も仕事の充実度はないのではないかと思うのです。


まっ、職人などというものはひとつの仕事を地道こなしていくのが当たり前なのですから、メディアを通じて売られた名前で、回りにいくつものプロジェクトを抱えているような別人種とは比べるべくもありません。TVでは彼女たち一人が素敵なわけで、料理教室や雑誌の取材の映像には料理場に何人ものスタッフが見え隠れしているだけでなく、紹介されている仕事には何人の人々が関わってのかと想像すると、TVで華やかに彩られた料理研究家という存在は、個人営業のように見えながらグローバルビジネスのための「顔」の役割でしかないのかもしれないのですね。彼女たちそのものはもしかすると本当に素敵でも、「ソロモン流」でTVというフィルターを通してみると「胡散臭さ」だけの印象しか残らないと思ってしまうのは、単なる売れない職人の僻みなのか?