学ぶのか身につけるのか


これまで何度か「マナー」のお話をしたことがあります。


いつだったかこんな話題を・・・・

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読者層は40代〜50代か?と思われる雑誌で、食事(たぶん高級店)時に恥をかかないためのマナーをレクチャーするというのはこれまでも目にしたことがあるのですが、並んだ雑誌がまったく同じ企画と言うのが笑わせます。しかも「“粋”をめざす男のマナー講座」というお題目は笑いを通り越して悲しさえおぼえる感じ。



そうか、そこまで欲していたか。“粋”って思われたいのね。男40、マナーは身についていないのか。しかも雑誌でお勉強するのね。

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あれから以降、月刊誌には次から次へと「マナー」が取り上げられ、「ちょい不良(ワル)オヤジ」には女性をエスコートするマナーは必須アイテムとなりました。たぶん、今本屋へ出かければ、雑誌の棚にはかならずどこかに「マナー特集」を見つけることが出来るでしょう。


しかし、「勉強した」(しかも雑誌から)マナーは本来の姿ではないことは自明の理です。マナーは学ぶものというよりは身につけるものです。


「お茶」の素養が身についた方がお茶をたてるときの姿というのは、「袱紗をさばいた後は、○○をして」「茶杓を持った次に○○で」と次になすべき動作を考えながらの所作ではありません。身体に身についたときの動きというのは、よどみなくて自然に流れる美しさがあります。そういうのを「身につく」というのだと思います。加藤周一が「茶道は生活そのものが芸術に昇華した世界でも稀に見る文化である」というような文章を書いていたのを読んだ記憶があります。芸術といえるお茶は長い修練の間に身体の一部になるのでしょう。


勉強して覚えただけのマナーが見栄えいいわけがありません。



以前に友人の家族と、あるホテル内の高級中華料理を食べに行ったことがありました。子供たちは小学校から中学まで6人、大人4人。ホテルの中、しかも中華ですから、マナーどうこうの心配はない場所ですが、子供たちはむやみに騒ぐことはもちろん、親がたしなめるような無作法を働く子は一人もいませんでした。というよりも、子供たちなりのマナーを身につけ、自然に笑い声が絶えない楽しい会であったことを思い出しました。もしかすると、接待で来ていたと見える男ばかりのグループの酔っ払いよりもずっと「マナー」が身についていたのではないかと思うのです。親たちが家庭で教えた箸の上げ下げと、周りの人に迷惑をかけない気持ちさえ持っていればマナーは十分であるはずなのですね。雑誌のマナー特集なんぞせせら笑ってながめてやりましょう。