吉村順三

clementia2006-02-16



建築家という仕事はもっともあこがれる職業の一つです。生活そのものがアートになるライフスタイルの基礎になる家をクリエイトするというのは、毎日の住み易い快適性を突詰めるだけでなく、アーティスティックな満足度も高めなくてはなりません。しかも、自らの感性を施主に納得させるだけの実力も持たなくてはならないというのは、私から見るととてつもなく高いハードルを毎回越えている仕事に思えます。


これまで、20代後半に一軒、40代前半に一軒の家を建てる機会がありました。「満足のいく家は三軒目にできる」というお話にそえば、次の一軒には理想の家が建てられるのかもしれませんが、家造りの難しさも充分にわかった分、何回建てても究極はないのだな・・・という正直な感想を持っています。


先日録画したまま忘れていた新日曜美術館吉村順三の建築を見ました。最初に現れた「軽井沢の小さな山荘」は私には衝撃的な家でした。森の中にぽっかり浮いたような小さな山荘。住み心地のよさそうな空間は、周りの美しい森のためだけでない、建築そのものの素晴らしさゆえです。30年も前に建てられた家が時代を経た古臭さが微塵もなく、つい先日設計されたばかりにみえるほど時代を超越した凛とした品格があります。それでいて、モダンデザインの生活には問題がありそうなデザイン優先のところなど皆無です。こんな家で生活してみたい・・・・一目でぞっこんでした。


付き合いのある建築家が「家は買うもんではなくて建てるもんである」といった事があります。今、気軽さとわかりやすさがあるのか、TVでCMを打つような大手住宅メーカーの家が全盛の時代です。そういう「コンセプト」やらをもつ、考えられた「売家」は環境優先だとか省エネだとか今の時代に受けやすいお題目があります。「今買う」ならとっつきやすい「売り文句」で飾られていますが、一生住む住宅は今のお題目が大事ではないのです。20年後にそのお題目が生活に根付いて生きているのか?・・・疑問です。吉村順三の作品の数々は30年前の設計でも普遍性があります。なにしろ生活の変化に合わせて建て増しを重ねても、吉村らしさが生きていて、生活のしやすさが常に側にあるというのです。それでいて美しい、アートが感じられるのです。住宅とはそういうもんであるべきなのでしょうね。


で、早速「小さな森の家―軽井沢山荘物語」(吉村順三)を注文しました。眺めるだけでも幸福感に満たされる家、そんな住宅があるのです。