果たして培われたのか?


以前もシリーズのようにしてマナーの事を書いたことがありました。全く私ごときがちゃんちゃらおかしいのではありますが。


そのときも思ったのですが、これまでマナーらしきものを正式に習ったことがあったか?・・・といえば、全くなく、雑誌やムック本でマナーがかかれているのを見て、「へーーそうだったのか」と思った事すらありません。すべては知らず知らずのうちに身についていったことです。付け焼刃の積み重ねとも言えます。



私が幼い頃、両親は当然のように「箸の上げ下げ」はキッチリ教えてくれました。ナイフフォークの持ち方も父が教えてくれました。「お皿の上にこう置いたときには食事が途中のとき、こうしたら下げてもらってもいいですよ、ってことなんだ」とか「ナイフフォークがたくさん並んでいたら外側から」とか「ご飯はこうやってフォークの腹のほうに乗せて(昭和30年代にはそんな風が当たり前でした)」 それでも考えてみると、ナイフフォークがたくさん並んでいたのはその後の結婚式くらいのもので、「飲むな」と言われたフィンガーボールがでてきた事でさえ数えるほどしかありませんでした。


昭和30年代の田舎町にはフレンチのフの字もイタリアンのイの字もありませんでしたしワインを食事と楽しむなんて考えもしませんでしたから、日本ではフレンチの細かいマナーなんて必要なく、フォークナイフを洋食屋さんで使えるくらいで充分であったのです。


そうやって考えると、今のように「フレンチでの予約はこうするべきである」とか「ワインのオーダーの時は」なんていうお話は日本人にとってはつい最近の決まりごとでしかないのです。「べきである」という本人だって、先祖代代培ってきた身についたマナーではなくて後で学んだ付け焼刃といえなくもありません。


さらに、「高級店でのマナーが気になって緊張する」なんて思う必要もありません。大体マナーを云々するほどギャルソン全員が洗礼されたマナーを身につけているわけもなく、高級料亭のお運びさん全員にお茶の素養があるわけでもありません。ヘタをすれば女将だってお茶席でご正客を勤められるほどの経験があるのかどうか?スタッフ全員がナマーの細かな動作まで判断できるほどのプロフェッショナルになるには日本にはもっと時間が必要です。


ですからやっぱり親に教わった基本的な「箸の上げ下げ」ができて、同席の人に嫌な感じを与えないだけの所作で十分なのですね。今雑誌などで盛んに取り上げられるマナーなんぞ、時代とともに変化し、最近になってやっと言われ始めた事と思えば恐くもなんともありません。そんなことよりも自分の子供たちに洗礼された身のこなしができるように普段の素養を高める事ができる親になることのほうが先決だと思うのですが。ソフィスティケイトは三代後に叶えられます。