培われるもの


お客様に対して私から職業をお尋ねすることはまずありません。おしゃべりの内容から推し量れること、その方の風体所作から推測することもありますが、「どちらにお勤めですか?」とか「ご職業は?」・・・は、しないようにしています。ですからずいぶん長いお付き合いでもどんなお仕事をなさっていらっしゃるのか存じ上げないお得意様も何人かいらっしゃいます。




すでに何度もおこしいただいている妙齢のご婦人は、そのごくありふれたそのお名前しかお伺いしていませんでしたが、隙のないファッションセンスと身のこなし、洗礼された会話の数々から、ファッション関係の会社でも経営なさっていらっしゃる方なのではないかと想像していました。


先日「時々お伺いしてる○○工業の○○です。今回接待で使わせていただきたくて・・・」という予約の電話をいただきました。お声には聞き覚えがあるのですが、○○工業という企業名でのご利用の記憶はありませんでした。当日お見えになられると、あの「ファッション関係?」と想像していたご婦人でした。実際には工業用機械を製造する堅実な会社の社長さんだったのです。この方が工業を歩き回っている姿というのはほとんど想像できません。


ご婦人の後からすっとお入りになったのは息子さんかと見える端正な顔立ちの好青年です。


「彼、今日が接待も料亭も初体験なんです。よろしくね」と。


接待も進み、お酒も入り和やかに会が進んでも、次期社長となるであろう息子さんは接待初体験とは思えないほど軽やかに座を持たせ、食事の所作も申し分なく、お酒の話、料理の話などもそつなくこなしていかれます。


この親にしてこの子あり・・・なのでしょうね。この親に躾られ、この親の姿を見て育った子は何処へいっても恥ずかしくない立ち振る舞いができるものです。マナー教室に行かなくても、雑誌のマナー講座から学ばなくても、普通に箸の上げ下げを躾られていれば(いろいろな意味がふくまれる上げ下げですが)困らないのです。


マナーの基本とは、一緒にいる方々に不愉快な思いをさせる所作をしないこと、たぶんそれだけに尽きるのですね。



あとは本来料理屋の側が、お客様にマナー違反になりそうにならないように段取りをする事が大切なのです。例えばフレンチレストランであれば、席へ誘導するのに女性が先になるように自然にしむけるとか、ナイフやフォークの使い方がわかりにくいときには、「こちらをお使いいただくとお召し上がりやすいと思います」と一言添えるとか。日本料理であれば、食べ方に順番があれば、「こちらから先ですと、美味しくお召し上がりいただけるかと思います」と添えるとか、お寿司屋さんであれば、醤油をダボダボついで欲しくなければ自分で適正な量を小千代口に先に入れて差し上げるととか。


料理屋の側の気づかいでお客様に恥をかかせないですむ事もたくさんあるのです。


そういうことも含めても「箸の上げ下げ」ができる子供に育っているというのがまずは基本にあることは間違いありません。あっ、もうひとつ「美味しいものを美味しそうに食べる」ってのもありかも。