仕込みは続く

clementia2005-12-27



おせち料理の仕込みが徐々に始まっています。昨日は身欠鰊昆布巻き、大根なます、田作り、本日は慈姑(くわい)を剥いています。


この手の国産の慈姑の大きなものは最近あまり出回らなくて頼んでおかなければ数が揃いません。シンプルに六方にに剥いて焚くのですが、市場ではきれいに松ぼっくりの型に剥いた慈姑が売られています。職人の手間はかかりません。単価も私が使う慈姑よりも細工をして剥いた状態でお安い。中国産なのですね。でも美味しいのは当然国産。


見栄えがよくて、安くて、手間がかからないことは、今の世の中残念ながら「美味しいこと」に優先します。聞くところによると、料理店の名で売られるおせち料理には珍味屋の既製品をたくさん詰め込んだものも多いのだそうです。一般消費者はそろそろおせち料理というのはそういう味のものだと思い込み始めているのだと聞きます。


「既製品」が美味しくなくて「手作り」であることが即そのまま美味しさ繋がるわけではないのは当然のことながら、おせち料理でも素材にまじめに向き合うことが美味しさの原点になることは間違いありません。


自分で言ってしまうのは手前味噌もはなはだしいのですが、この5年くらいでやっとおせち料理の型が上手くでき始めたと自分で思えるのは、先々代から続いた「クソ」がつくほどの実直さのおかげかもしれません。