プレーヤーの悦楽


昨日までの一週間、ウオーキングの友となる音楽はひたすらマイルス・デイビスでした。


1965年プラグド・ニッケルにおけるライブ盤全7枚。


7枚のCDを通して聴くというのは結構しんどいものですが、シカゴ プラグド・ニッケルというクラブでのライブは、数あるライブ録音の中でも屈指の緊張感がみなぎった演奏だけに、毎日一枚を集中して聴くだけでどっと疲れるほどのものなのです。


1960年代のマイルス・デイヴィス・グループ 数枚のライブ録音はジャズ愛好者にとっては至高の作品群で、間違いなく一生聴きつづけるアルバムです。中でもプラグド・ニッケルの7枚組みは二日間のすべての演奏を収めてある録音で、当時世界で最高水準のジャズグループの息遣いがそのまま聴こえきます。いえ、当時ではなくて今聴いてもここまで研ぎ澄まされ、自由奔放で、革新的なライブはないといっても言い過ぎではありません。


テンポはドラムスのアンソニー・ウィリアムスを中心に変幻自在に移り変わります。リズムが早くなったとか遅くなったなどというレベルとは全く違います。ビートもバラードの2ビートがバイテン(倍のテンポ)の4ビートになりさらにその倍の超バカっ早になったり、三拍子が三拍二連で二拍子になりその倍の4ビートになったりします。コードもブルースのコード進行がモードに変化したり、裏コードがかっこよく決まったりと演奏の中で刻々と変化していきます。なかでもウェイン・ショーターのサックスは、もうどういうスケールを使ってどのコードでどんなフレージングをしているのかさっぱり理解できない・・・・けど、ムチャクチャかっこいいというぶっ飛んだ演奏を繰り広げています。。。。。というようなことは、プレーヤーとしてジャズに触れた経験のある人間にとっては、ほどんど神の仕業としか思えない高度に昇華された演奏であるのが手にとるようにわかります。演奏は時として呼吸が出来なくなるほどの緊張感に満ち、インプロビゼーションの究極に達するのです。マイルス自身が自伝の中で、「あんな演奏を何年も続けていたら体が持たない」と言っているのは確かに真実です。


評論家が感覚的にこのアルバムを批評しているのにくらべて、プレーヤーの端くれであった私はマイルスのきっかけを造る一音やアンソニーのトップシンバルの一撃、ハンコックの左手のコード、ロン・カーターのCセブンの時のA♭一発に心臓をバクバクさせ、音楽をやっていた事の喜びをヒシヒシト感じます。


購入してから10年以上経つ7枚組みを通して聴いたのはまだ三回目、聴くだけでも体力を消耗する演奏、やっていたほうは命を削るような演奏であったに違いありません。