評論家


日本人はとかく評論家的になりがちになるように思えます。音楽についても、本についても、食についても。


大昔、学生ジャズバンドに所属し音楽に熱中していた頃、時代もそんな風であったのですが、ジャズ喫茶などでジャズを聞くときには、腕組みをして目をつぶりいかにもわかった風を気取って真剣に聞くのが今風でありました。コンサートで聴くバンドも素人でもプロでも「上手い下手」を基準に批判する事で自己主張していたような気がします。



そんな頃、鼻持ちならない石頭の私の脳天をかち割る、私には宝物のような経験をしました。



以前にもお話しましたが、大学も四年生最後の春休み、所属するバンドでアメリカ西海岸を演奏旅行(大学でのコンサート、ジャズフェスティバル参加)してまわる機会がありました。ジャズの本場に日本人のしかも学生のバンドがでかけるというのは、恐れをしらない所業なのですが、若さゆえの無謀な勢いでなんでも出来てしまったのです。


最初の訪問地UCノースリッジのキャンパスでのリハーサルの事でした。昼休みの午後、芝生の上でリハーサルをはじめると、ものめずらしさもあってか、学生がどんどん集まり、一曲目が終わると拍手はスタンディング・オベーションになりました。


「あ、いやいや、これリハだから。。。。」とはいっても、日本でどれほどできのいい演奏をしてもスタンディング・オベーションなどありえないことを思うと、演奏をニコニコ楽しんでくれている観客たちのノリのよさに驚いたのでした。彼らの目には「日本人がジャズ?どれほどのもん?」と批評家的なところは微塵もなく、ひたすら音楽を楽しんでくれていたのです。


それから後、そういう観客の楽しみようはすべてのコンサートに共通していていました。最後の演奏はカジノで有名なリノ、全国の学生バンドの集まるフェスティバルでした。3000人は入ろうかという会場での最初の一曲が終わると怒涛のように押し寄せる拍手と全員が立ち上がるスタンディング・オベーション。鳥肌が立ちました。観客の多くはジャズ関係者だというのに評論家的に演奏を見る観客は誰一人いなくて、「音楽は楽しむもんだ」という熱気にあふれているのです。「演奏している我々がしかめっ面をしていてどうする」「我々こそが楽しまなくては」という気持にさせてくれます。


10年近く音楽に親しんでいたというのに音楽は常に上を目指す苦行で、上手くなる事が至上命題と思い込んでいたのです。学生も最後というときに初めて音楽は演奏するのも聴くのも楽しむものだ、ということにやっと気づきました。


その時の経験から後、人前で演奏するとき誰よりも自分が楽しむという気持を忘れた事がありません。アマチュアは自分が楽しんだおすそ分けを観客にあげる・・・・くらいの気持で丁度よいと思うのです。


音楽でも本でも食べる事でも、人の演奏、業績を批判的に批評する事がどれほど無駄な事か、まずパフォーマンスを楽しみ感動することこそに意味があると思うのです。それがなくて何が人生か。




・・・とはいえ、青春の思い出は限りなく美しく彩られるもの。自慢話は話半分、いえ1/3くらいで聞いておいてくださいね。