エルミタージュのマティス


初めて自分の意志で美術館に行ったのは、大阪の修行時代、京都美術館での「エルミタージュ美術館展」でした。絵画ファンからみれば「なんて遅い目覚め。ホントに絵のことなんかわかっているのか」と思われるでしょう。確かに私なんぞ、審美眼には程遠い貧弱な美意識しか持たないことは明白なのですが、ふとしたきっかけで出かけた「エルミタージュ美術館展」で見た、今では作者も題名を思い出せない(確か”出エジプト”)の美しさに圧倒されて、絵の持つ魅力に惹かれはじめたのでした。それからというもの、目ぼしい展覧会にはしげしげと通うようになりました。


とはいえ、憧れのエルミタージュは一度も訪れる事が出来ず、先日NHK世界美術館紀行」で取り上げられたエルミタージュ美術館に60点にもおよぶマティスがあることを知りました。あの「ダンス」もエルミタージュにあるのですね。私の勝手な思い込みでエルミタージュには古典主義的な絵画が多いと考えていたものですから、多くのマティスを所蔵する経緯はとても興味深いものでした。


ロシア革命以前、ロシアの実業家シチューキンはパリを拠点に繊維の仕事で財をなしました。彼はモスクワにいる妻のリディアのために絵を買い集め始めました。その時に彼が目を付けたのがマティスの絵であったのです。彼はまだ無名の画家であったマティスの絵を買ってはモスクワに送りました。パリでもマティスは全く認められていない時代、未だに印象派でさえも認められていなかったロシアでは、彼のコレクションを理解できるものはいなかったのですが、彼は自分の目を信じて絵を買い集めたのでした。


「ダンス」もマティスがパリの展覧会に出展したものの惨憺たる評価を受けた作品であったそうです。しかしシチューキンは「時代が私達の味方となり、最後はこの作品が勝利するはず」と語っりその作品を買い取ったというのです。確かに100年前にあの絵を見ていたら、私など「子供お絵かき以下」としか見えなかったはずです。


その後ロシア革命によってシチューキンは亡命を余儀なくされたものの、「あのマティスはロシアにあるべき絵だ」と語ったと言います。ロシアにあったマティスシャガールが、カンデンスキーが触発され「コンポジション」が生まれたと思うと、人々の人間関係がつむぎだした芸術の数々により興味が湧きます。


エルミタージュ美術館、いつか。。。