創作家庭料理


毎日いくつの家庭料理のレシピがTVで放映され、雑誌に掲載されるのでしょう。


現れるそのほとんどレシピが新しい創作料理で、和洋中、様々な素材をくっつけはっつけ、こんなこともできます、あんなこともできます、こんな工夫はいかが、あんな素材を思わぬ料理方法で、と、次から次へと目新しいやり方を披露してくれます。


私などが見るとその90%は、「まっ、試してみるほどの事はないな」と思うようなレシピではあるのですが、極稀に「おお、こりゃいいや。店で出せるかも」というものを見かけることがあります。



しかし、この消耗具合はなんなんでしょう。一年間に何万というレシピが現れても、それが家庭の味に定着し、母から子へ受け継がれるということはほとんどなくて、現れては消えていくだけです。もしかしたら献立を作った本人も一年後には覚えていないかもしれません。創作などというのはそんなものなのです。これほどの創作家庭料理が作られては捨てられているのは、世界中見渡しても間違いなく日本だけです。とりつかれたようにメディアが使い捨てる料理を連発しても、その熱狂が文化として料理に貢献する事は少ないような気がします。



同じように、プロの料理屋の世界でも創作、創作、創作・・・・目新しいものでなければ世間に通用しないのか?



料理研究家と料理人の七転八倒の末のアイデアは、物質同様に消耗され、東京辺りの新しい店同様に使い捨てられていく姿というのは、創造という名の生き生きとした息遣いというよりは、アタフタとした自転車操業の悲惨のように思えます。世の中では当たり前になっている風潮は私には馴染めないものです。