ビールの行方


昔からお酒は税金との戦いであったと言います。


太古の昔から、人間はアルコール無しでは生きていけないほどお酒を好んできました。時の政府はそこに税金をかけることは、手っ取り早い税徴収の方法であったわけです。


さらに、戦争など危機的な時代でもお酒は庶民には欠かせないものでしたから、日本酒の三増酒などのように、純粋に米と米麹だけでなくてアルコールや調味料をたっぷり混ぜて増量したお酒が必要であったという悲しい歴史も時代の必然であったのです。そう、お酒は美味しい不味いだけでなく時代に翻弄されるものなのかもしれません。



今のビール(発泡酒)もまさに税金との戦いです。企業が様々な努力をして、税金のかからない安価でビールに近い味のものを作り出せば、政府がさらに税金の網をかける。次の努力を重ねてもさらに税金の網はかけられるわけでまさにイタチゴッコです。


不況の時代、安価で美味いものをという庶民の願いはビール会社大手と政府との戦いに表れるように果てしなく続くのでしょうが、いくら不況の時代とはいってもビール会社が全員右へ習えで安くて美味しいだけに突き進んでいていいのでしょうか。利潤の追求という大前提のもとでは、値段はさておき間違いなく美味しいビールは現れないとあきらめるしかないのでしょうか。



1990年代半ばに地ビールの登場に「味」のビールに期待したのですが、私が知る限りではほとんどの地ビールは地域起こしや企業体としての利潤のために作られたもので、純粋に「まず美味しいビールを造ってみたい」という志を感じるものは見当たらないような気がします。



考えてみると税法が味覚文化を破壊するという側面で見れば、先に言ったかつての戦争時に日本酒がたどった道を、ビールも進んでしまうかもしれません。戦後生活が豊かになってもずっと続いた「日本酒は不味いもの」という認識は、現在のように全国の小さな蔵の「美味い日本酒を」の革新的な試みをもってしてもなかなか埋めきれないほど未だに定着しているように思います。



「とりあえず」のビールは税金のために安くてそこそこだらけでよいのか。
企業の利潤追求は「まず美味しい」を叩きのめしてしまうのか。




先日久しぶりに封を切った会津坂下の「飛露喜純米無濾過」は以前の飲んだときの印象からすると劇的に美味しく感じられました。この値段でこの味わい、雑味のないふくよかさ。淡麗でも辛口でもくくれない美味しさをさらに研ぎ澄ます事が出来たのは、藏全員の努力の賜物です。利潤を上げられるからとか、企業規模を拡大できるからという理由で造られたお酒ではなくて、「美味しいものを」という志が生んだお酒です。ビール各社にはそういう「志」があるのでしょうか。