シャンパン話その2

飲んだことはなくても誰もが聞いた事があるシャンパンの名前というと「ドンペリ」ドン・ペリニオン。銀座〜高級〜セレブ御用達の代名詞のように使われるドンペリですね。


このドン・ペリニオンが僧侶の名前でシャンパンの元の形を作った人・・・くらいの知識もきっとお持ちの方は多いではないでしょうか。もしかすると、シャンパン「ドン・ペリニオン」はその末裔がつくるワインで、当時の製法のまま造られている、とすれば、かなりロマンチックでいいお話ではあるのですが、そんなことはありません。因みにドン・ペリニオンのドンってドミナス=師(カリフォルニアワインにドミナスという超美味しいワインがありますね)の意味なのだそうです。


ペリニオン師は日本でいうと水戸黄門あたりの人、1600年代ですね。この当時、シャンパーニュ地方でできるワインは、寒冷で厳しい気候のため、とってもすっぱいもので、炭酸の含有量がとても多かったのだそうです。当時はこの炭酸は嫌われて、何とかなくそうと工夫をしていたのですが、ペリニオン師がどうせならこの炭酸を閉じ込めたワインにしちゃったらどうだろう、と、コルクを針金で留める技術を考えついたのだそうです。とはいってもそれでシャンパンがすぐに人気が出たわけではなくて、それから100年以上シャンパンは売れない不遇の時代が続くのです。


しかもシャンパンは瓶の中で発酵するものですから、オリも大量にでてきます。ペリニオン師が炭酸を閉じ込めてもその頃のシャンパンはきっと濁った液体で、今のように美しい泡と黄金色ではなかったはずです。


その後、瓶内発酵で生まれたオリを瓶の下のほうに集めて抜き取り、糖分とリキュールを加えてもう一度コルクに針金で封をするという方法が発明されて、シャンパンはいよいよ今のような形になります。私から見るとこれを発明した人はドン・ペリニオンさん以上に偉い!とはいっても糖分が入って瓶内発酵が進むのはいいのですが、まだ試行錯誤の時代には糖分の量がわからずに、瓶ごと爆発するシャンパンもかなりあったのだそうで、ホントかどうか?防護服を着てシャンパン造った時代があったというのです。最初に申し上げたように、シャンパーニュ地方は冬の寒さが厳しいところです。寒い時期に大人しくしていた瓶詰めのシャンパンが、春になって温かくなってくると発酵がぐんぐん進んで瓶内圧力で爆発。春から夏は爆発がおおいなんて命がけです。


糖分とリキュールを加えるというのをドサージュといいます。これがあるからこそ今のような泡のきれいなシャンパンが出来上がるわけなので、糖分を酵母が食べていくことでアルコールと炭酸を発生させてお酒が出来上がるのは日本酒もワインも同じです。糖分があればそれなりに甘くなるのは当然。糖分ナシでは発酵が進まないのですからあるべきなのです。ですから昔のシャンパンはかなり甘かったともいわれます。ナポレオンが持ち込んで市場が出来上がったといわれるロシアでは、このシャンパンの甘さが受けたようで海外の市場ができてきてやっとシャンパンも不遇の時代から抜け出せるのです。


そうしてやっとドサージュで加える糖分の量も安定し、爆発もなくなり、オリもなくって透明で、泡もきれいにできるシャンパンが生産されるようになりました。ドン・ペリニオンさんが復活し持ち上げられたのはそのころ。シャンパン最大メーカーのモエ・エ・シャンドン修道院を買い取ってドン・ペリニオンさんの名前を広告塔にしたのでした。でなければドン・ペリニオンさんがこれほど有名でありつづけることはなかったのでしょうね。