こられるもんなら来てみなさい

レアモノというやつをいくつか紹介させていただきました。レアは入手が難しいからレアなわけでなのですが、世の中に存在する以上それなりの手立てをかさねれば必ず手に入るものでもあります。私が「がんばって手に入れた」と大騒ぎしても、同じ努力をすればいい話です。私程度のがんばりならだれでも出来るはずなのです。


いい例がお酒です。ネット上でこれだけ情報が豊かに行き交いし、雑誌などの情報もきめ細かい今では普通に流通するものであれば手に入らないものはありません。人間関係の密度でいただけるものだって、欲しいとなれば同じ人間関係を築けばよいのです。かえってそれは自身の新たな財産になります。


考えてみると料理屋にとって大切なことは、レアなものの秘めた力を評価できる舌と見識の高さであると思うのです。味やその蔵の努力を正しく理解できなければ、たとえ手にはっていも上手に使うことが出来ません。


簡単な話、ブルゴーニュ赤ワインの高レベルなものをきちんと評価できるようになるにはそれなりの経験が必要です。白ワインの熟成した素晴らしさがわかるにはある程度の本数を飲まなければわかりません。リースニングの美味しさの段階がわかる人には「村祐」(新潟の新星)が理解できますが、「甘いのはだめ」などと言っている料理人には新しい芽を育てようという意識はもてません。料理人で未だに「日本酒は辛口」などと甘い辛いでしかお酒を判断できない人にはバリエーション豊かな日本酒のラインアップをそろえることはできません。


美味しさを理解し、「素晴らしい!」と絶賛の言葉を発せられる人の処にお酒は集まるのです。集めようと思えば集められるかもしれませんが、見識が伴わなければお客様に素晴らしさを伝えることはできません。




しばらく前ですが、さる大きな料理屋さんのご主人がお見えになったことがありました。歴史の古さも資本力も売上高も、私ン処なんぞ比較にならないほど格式のあるお店です。お酒のご所望があって座興にさまざまな世間話をしながらお酒をお出ししました。自ら調理場に立つような小規模な店ではないのですが、お話の端々からは料理屋主人の見識は見えてきます。伺っていると・・・・ほっ、ことお酒に関しても今のところ「ここまでやってこられる人」ではなさそうです。心の中で「どっからでもかかってきなさい」と言っている私はかなりヤナヤツです。負け惜しみとも言いますが。