思い出の味

思い出の味は年月を経れば経るほど郷愁とともに美化されるものであります。


「あの時食べた○○は美味かったぁ」は、10年後20年後に同じ物を食べると「あれ?こんなもん?」となる経験は多いはずです。思い出は美しいものとして自分の中だけで完結していればいいのですが、そうでない場合も多々あるのですね。


お酒などの場合、その時の「美味い!」の経験をいわばデジタルな物として記憶していれば美味いのクラス分けがきちんとできて、いたずらに美化されることがありません。ソムリエさんがワインの味や香りを「なめし皮の香り」とか「雨上がりの濡れた葉っぱの香り」などと表現するのは、決して文学的な自己表現というわけだけではなくて、味を記憶にとどめるための記号の羅列のようなものであるのです。味は言葉に置き換えて記憶することでかなり明確になります。


私も日本酒の味を記憶するのに出来るだけそんな手法をとるようにしています。いい仲間と一緒に美味しい料理と飲んだお酒の記憶と、試飲会で顔をしかめつつ何十本もあるお酒を一口づつ口に含んだ時の味の記憶が、並列的に正しく評価できなければ店で使うべきお酒かどうかを正しく判断することはできません。


よくお客様に「親方が出してくれたこのお酒もいいけど、○○って知ってるぅ。普通の純米なんだけどもっと美味しいんだよねぇ」というお言葉は90%ご自身の美しい思い出のお話です。もちろんそれはそれとして「さようですかぁ、一度是非使ってみたいもんです」とは言うものの、おだししているそのお酒は料理との相性、お酒の出す順番、お客様の言葉の端端から想像されるお好みなどを考えてお出している一本です。「もっと美味しい」とおっしゃるそのお酒を経験していることも多くて、冷静に判断すれば比べるべくもない・・・・のですが、大切なのはお客様の気持なのです。


そういう思い出を大切にする方の中には、思い出だけでお酒を味わう方もいて、別の店ではほかのお酒を飲みながら「弁いちで飲んだ○○は美味しかったぁ」などと言っていたりして。。。。


でも、考えてみると職業とはいえ、味を楽しむ以前に記憶に正しくとどめようとしている自分って結構悲しい。