ワイドショー・ニュース

たまたま見た午後6時台のテレ朝のニュース。6時台といえばニュース・ステーションと並ぶニュースの花形なのだと思っていました。


ところが、そこに殺人事件で流された報道のほとんどは、「○○らしい」の推測、「はたして空白の○○は」で片付けてしまうただの疑問、顔が見えない(首から下の)映像で流れる友人、近隣のおばちゃんの語る事実に関係あるかどうかわからない人物像と「そういえばあの子の最近は○○だった」という個人の適当な憶測、はたまた若い記者がとりあえず聞きまわった脈絡のない関連情報。事実らしいのは殺されたということだけで、ほかの90%はニュースとして「発信していいのか?」というより、視聴者を惑わすだけの余分な推測情報であるのです。ワイドショーにも劣る仕業です。ニュースと名乗り庶民にそれらしくかたられるだけ始末が悪い気がします。花形ニュースは知らないうちにこんな風にまでなってしまっていたのですね。


もともとTVのニュースや新聞雑誌の記事に「事実」を求めること自体無駄なこと、人の手を経た情報は必ず屈折するものとは知りつつも、たまたま見たこの「ニュース」の破廉恥さに言葉を失いました。


今に始まったことではないにせよ、この番組を作るスタッフたちはニュースと銘打つこと、ジャーナリストと名乗ることに恥じらいを感じないのでしょうか。


我々の業界でいえば、○○漁港直送と言いながら、○○漁港からきた冷凍魚と養殖魚を使う刺身が売りの店、創作和食といいながら作った本人が食べたこともないどっかの国の料理達のつなぎ合わせただけの料理をならべる店、「こだわり」はまさに「どうでもいいことに拘泥する」だけのこだわりの店・・・・みたいな感じ。



CBSダン・ラザーの引退が、長く続いたイブニング・ニュースの変革の象徴だと言われ、ブログ記者がホワイトハウスの取材に参加した、などというアメリカのお話とは次元が違うところのお話であるのが悲しい。