あら輝さんときよ田さん

今も語り継がれる寿司の名店「きよ田」という店がありました。幸いにも店が最終に近い頃、一度だけ味わうことができました。


その時、隣にはツルツル頭の青年が一人ガチガチに緊張して親方の寿司を味わっていたのです。親方が「この子ねぇ、修行中ですがもうじき店を開こうとしているんですよぉ」と語ってくれたのです。その青年が今をときめく新進気鋭の寿司屋「あら輝」さんであったのです。


その「あら輝」さんがTV「情熱大陸」で取り上げられていました。「きよ田」の最後の弟子、唯一の継承者として、手抜きの無い仕事、最上の素材、どれもが有無を言わせぬ気合の入ったお仕事振りで、あの緊張にがちがちになっていた青年とは思えないほど溌剌としていらっしゃいました。


TV番組の手法として番組後半は、「きよ田」の親方が「あら輝」さんを久しぶりに訪れるという盛り上げ趣向です。かなりあざといです。あのときの緊張を思い出したかのように、しかし、自信をもって鮪を握り「きよ田」親方に差し出す「あら輝」さん。親方はじっと寿司を見つめ、手を出そうとはしません。ただ、世間話をしながら次第に厳しい批評を始めます。「この切り付けでは家庭の奥様でも出来ます」「お子さんはこういうお父さんを変な人と思うかもしれない」 以前に「きよ田」さんに伺った時にも「寿司や魚なんては見ればその良し悪しがわかります。食べなくたっていいです」と語っていたことを思い出します。あら輝さんは気の毒なほど呆然としてますます緊張していく様子です。結局「失礼しました」と二貫だけ握られた鮪は捨てられ、きよ田親方は「はい」と言うのみでした。


二人のことをなにも知らずTVだけを見れば、なんと厳しい世界だ、寿司は奥が深いと思われるでしょう。私は一度しか店を訪ねていませんが、あの親方であればあのくらいのことはあっても不思議でも何でもなく、「あら輝」さんも充分に予想していたことであったと思います。そのくらいで挫けてこの道に挫折するようなことは決してないはずです。同じ職人の目で見ればわかります。


ただ、こういう場面が「情熱大陸」のような趣向をもつTVのお決まりとはいえ、かなりの違和感を感じます。子弟の関係では寿司ひとつとっても人生をかけて語ることがあっておかしくはありません。寿司を始め「こだわり」の料理の数々が作り上げられる過程には、命をかけた試練があって、日々の切磋琢磨と厳しい師弟関係が相伝で受け継がれる・・・・これほどおいしい企画はありません。TV側からみれば。


が、しかし、料理人の側から見れば、人生を語り、厳しさを突き詰めていくような姿勢は内輪でやっていればいいことであるとはずです。その過程を演出し視聴者の側、食べるお客様の側に「どうだ、これほどの緊張と厳しさのある世界なのだ」というお話を押し付けることに私は一つの意味も感じません。食べるお客様側はそんなことは知らなくてもいいのです。要はそこにある料理が美味しいかどうかであり、豊かで楽しい時間を提供してくれているかだけでなくてはなりません。いらぬ緊張感やまつわるストーリーは必要ではありません。もちろん、あれほど厳しく語っていた「きよ田」の親方も、店では私たちがリラックスして美味しく食べることだけに腐心してくださっていました。人生や寿司を高みから語るような素振りは微塵もありませんでした。


グルメ志向の番組作りでは.よくある「どなる親方」「厳しく弟子を鍛える親方」「ふってわく緊急事態」「落ち込む弟子」「陰に隠れて泣く弟子」「一度は逃げ出す弟子」「苦境を乗り切る調理場のチームワーク」まったくステレオタイプの番組つくりは未だに続いています。確かにそういう調理場もありますし、そういう親方もいるのかもしれませんが、表に出てくるのは楽しむお客様、美味しい料理だけでいいのです。料理人の苦労や人生語りで料理が美味しくなるように感じるのであればおかしなことです。そのくらい苦労はその分野でも皆さんがなさっていることです。所詮板前風情の所業なのです。板前が苦労を語ってしまうのは、20代の芸能人が人生を語るのと同じくらい居心地が悪い気がします。料理人もそこんところを勘違いしないようにしなくてはいけません。「きよ田」さんも「あら輝」さんもまっすぐなのに、TVの取り上げ方が勘違いをしてしまっているように思えるのです。お気の毒です。